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#7149月24日(日) 10:25~放送
インド

 今回の配達先は、インドのレー。ここで修復建築士として奮闘する平子豊さん(49)へ、埼玉県で暮らす父・薫さん(75)、母・美保子さん(76)の想いを届ける。薫さんは建築士だが、豊さんは日本で建築の仕事をしていたわけではないそうで、「学生のとき中国に語学留学に行きまして、そのあとずっと向こうにいます」と明かす。実に、息子が日本を出てから25年が経つという。
 インド北部、標高6000メートルを超える山脈に囲まれ、西チベットとも呼ばれるラダック地方。豊さんが暮らすレーは17世紀には王宮があった高山地帯の町で、交易の要衝としても栄えた。豊さんの事務所があるのは、山の斜面に迷路のように入り組んだ路地が広がる旧市街。この辺りでも標高3500メートル、富士山の8~9合目ぐらいに当たる高さなのだという。豊さんは、パートナーであるポルトガル人のピンピン・デ・アゼベートさんとともに「チベット・ヘリテッジ・ファンド(THF)」というチベットの文化遺産を修復するNGO団体を主宰。2012年から豊さんが代表を務めている。古い町並みが残るレーには、石や土で作られたチベット家屋が140棟ほど現存しているという。そこで寄付金や助成金を募り、政府に掛け合って建物の取り壊しを止めたり、崩れた家を修復。この10年で40棟ほどが完了した。代々その家で暮らしている家主と何十回と相談しながら、チベット地域に伝わる伝統的な工法を用いて家屋を修繕。さらに家屋だけでなく、路地にある仏塔や生活道路の石畳、下水工事も合わせて町ごと直す。そんな地元の住人たちの理解がなければ成り立たない一大事業をずっと続けている。
 昨年から修復作業に取り掛かっているのは、元王族が所有する築400年以上の邸宅。壁を直すため、崩れた石やレンガを一度全て取り払い、新たに石と土で組み上げていく。材料は400年前と同様に手作りで調達。木材が乏しいラダック地域では山の土が唯一の恵みで、数か月乾燥させた1万個以上の日干しレンガがメインの建材となる。歩くだけで息が切れる高山地帯は、何をするにも重労働になる過酷な環境だが、豊さんは毎日現場を回り、図面通りに作業が進んでいるかをチェック。測量から雇っているラダック人の管理まで、やるべきことはいつも山積みだ。
 自転車に乗って未知の場所へ行くことが好きだった豊さん。21歳のときチベットを自転車で一人旅し、24歳でも再度チベットを走った。そんな中でやってきたラサという町で出会ったのが、修復を始めたばかりのNGOの創設者・アンドレさんと、後にパートナーとなるピンピンさん。現場の見学に誘われ、行ったその日に「おもしろい」と直感。学んできた中国語だけを武器にイチから修復を猛勉強し、独学で木造建築士と2級建築士の資格を取った。こうしてチベットとラサを拠点に文化遺産の修復に明け暮れていたが、2012年アンドレさんが急逝。その意志を継ぐ形で豊さんがNGOの代表となり、悲しむ暇もなくピンピンさんと2人で走り抜けてきたのだった。そんな修復の仕事について、豊さんは「昔に何らかの理由で作られた物を受け継いで、また直して将来に繋いでいくという“繋げるお仕事”じゃないですか。思いとか記憶とかも繋がってくるでしょうし、やっぱり繋がりは必要だと思います」と語る。
 チベットからインドに流れ着き、気づけば四半世紀。日々模索し続け、歩みを止めない豊さんへ日本の家族からの届け物は、レーザー測量計と作務衣。レーザーで長さが計測できる測量計は建築士の父からのもので、豊さんは「これは重宝しますね」と感激する。一方の作務衣は祖母の家を父が解体したときに出てきた着物を母が仕立て直したもので、2世代の想いが込められていた。しみじみと喜びを噛み締める豊さん。そして「いつも遠くにはいるけど、心にかけてくれているっていうのが伝わります。普段は言えないですけど、そういうところは感謝しています」と素直な想いを両親に伝えるのだった。