今回の配達先は、新潟県の荻ノ島(おぎのしま)。ここで茅葺職人として修業中の橋本和明さん(28)へ、大阪府で暮らす母・美裕樹さん(59)の想いを届ける。当初、「新潟に行くということ自体が『何で?』という感じでした」と、息子が移住することが理解できなかったという美裕樹さん。働いている姿もまだ見たことがないといい、「食べて行けているのかな…」と経済的なことも心配している。
ある日は、県内にある築100年以上の古民家で作業をしていた和明さん。茅葺屋根の寿命は15年ほどのため、定期的に葺き替える必要があるのだという。「カヤ」とはススキやヨシなど屋根に使う植物の総称で、今回は5000束のススキを使用。重さは実に5トン以上もある。これを職人が3人がかりで、3カ月以上かけて葺き替えていく。チームを組む職人のメンバーは若く、親方もまだ40代。高齢化で職人が減っていく中、急速に世代交代が進んでいる。和明さんは職人になって7年目だが、まだまだ修行中の身。この日も親方の指示で、屋根の下地作りに取り組んでいた。まずは長年、風雪にさらされ傷んだカヤを手で取り除いていく。続いては新しいカヤを並べる作業。隙間ができないよう丁寧に敷き詰め、専用の木槌で叩いて屋根の形に整える。この辺りは日本有数の豪雪地帯のため、過酷な環境に耐えられるようひたすら叩き固めていくのだという。こうして屋根を葺き替えていたが、突然の雨で作業は中断する。茅葺にとって雨は天敵。しかも茅葺職人の給料は日当制のため雨が続くと仕事がなくなり、収入も途絶えてしまうという。
和明さんの家があるのは、柏崎市の荻ノ島地区。全国でも珍しい、田を囲むように民家が建つ「環状集落」で、今も茅葺住宅が現役の住居として使われている。そんな地域にある築50年以上の古民家で、妻と生まれたばかりの娘の3人で暮らしている。大学生の頃、過疎化について研究していた和明さんは、フィールドワークで荻ノ島を訪問。当時はやりたいことが見つからずにいたが、この地で茅葺の魅力を知ったことで、大学を卒業するとすぐに職人の世界へ飛び込んだ。大阪の実家は工務店。幼い頃から木材や工具に囲まれて育った。そんな息子が木造建築に関わる仕事に就いたことを父は喜んでくれていたが、息子の職人姿を見ることのないまま昨年、急性肺炎で逝去。「父には、心配せず元気にやっているよと言いたい」という和明さんだが、一方で突然伴侶を亡くした母のことが気がかりだと明かす。
妻と生まれたばかりの子供と3人暮らしの和明さん。早く一人前の職人になって、家族を支えたいと語る。しかし雨が降れば収入が途絶え、冬場は地域が雪に閉ざされてしまう。職人の収入だけでは生活は成り立たないのが現状だ。そこで毎朝、新聞配達を行って貴重な安定収入を確保し、さらに米作りにも挑戦。加えて荻ノ島にある茅葺建築をリノベーションした宿泊施設と、土日限定で営業する茅葺カフェの管理人を市からの依頼で請け負っている。全ての収入を合わせると、同世代の平均年収くらいにはなるのだそう。かつて収入が安定しない時期には、近所の人たちが野菜やお米を持ってきて助けてくれた。今も赤ちゃんの様子を見に来たり、温かい言葉をかけてくれる。「豊かな場所だと思いました。自然はもちろん、人の豊かさをすごく感じます。こんな素敵な場所だから残していって、住み継がれる場所にしていきたい」と、和明さんはこの地に対する想いを語る。
荻ノ島の茅葺住宅を、集落唯一の茅葺職人として守っていきたい。守るべき家族も増えたことで一層その想いを強くする和明さんへ、届け物はハンドメイドが趣味の母・美裕樹さんが手作りした手芸品。和明さんの妻と娘にはお揃いのエプロンを。息子には両親2人で応援する気持ちを込めて、亡き夫が遺した衣類をカバンや手ぬぐいにリメイクした。それぞれに茅葺屋根の刺繍が施され、そんな母の想いを家族とともに喜ぶ和明さん。そして遠くで暮らす母に向け、「ちょっとでも安心してもらえるように姿を1回見てもらって、叱咤激励があるならいただいて、もっと頑張っていきたいなと思います」とメッセージを伝えるのだった。