今回の配達先は、台湾。ここでプロスクーターライダーとして奮闘する藤永優さん(50)へ、大阪府で暮らす妻の好子さん(49)、息子の勝さん(23)の想いを届ける。
スクーターレースとは、市販のスクーターをベースに改造したバイクで競うモータースポーツ。高校卒業後、本格的にスクーターレースを始めた優さんは、16度の日本一に輝き、数々の世界大会で優勝。そして2011年、世界で最もスクーターレースが盛んな台湾に活躍の場を移した。現在はバイクのカスタムパーツメーカーである台湾RPM社とともにレースに参戦。世界最高峰の台湾スクーターレース界でも、その強さと存在感から「車神(カミシャ)」と呼ばれる優さんは、50歳にして人気・実力ともにトップクラスを誇っている。スクーターレースのコースは全長1キロ程度。普通のバイクレースに比べかなり短く、コースの中にタイトなコーナーが連続してレイアウトされている。最高速度は時速100キロを超え、テクニカルなコースをブレーキとアクセル、体重移動を素早く使い駆け抜けなければならない。そもそもスクーターは速く走るために作られたものではなく、手軽に街を移動するための乗り物。そこにこのレースの難しさがあるのだという。
優さんと妻の好子さんは中学校の同級生で、高校時代に交際を始め、一緒にバイクの免許を取った。卒業後、就職するとバイクチームを作り、2人で遠征して全国のスクーターレースに参戦するようになった。25歳で2人は結婚するが、好子さんが大病を患うことに。その後、子宝に恵まれるも息子の勝さんは気管狭窄により呼吸ができない状態で生まれ、一命は取りとめたものの声を失ってしまう。このとき、優さんは両親からサラリーマンに専念するよう迫られたという。しかし好子さん自身が「世界一速い夫に走り続けてもらいたい」と反対。妻の想いを受けた優さんは37歳の時にサラリーマンを辞めて自身のパーツメーカーを立ち上げ、台湾レースに参戦。大好きなスクーターライダーで家族を養っていくと決めたのだった。「頑張ったら、たかがスクーターでもごはんが食べられる。僕が開いた小さい道をみんなで広げていってほしいし、やり続けないとすぐに道はなくなる」。好子さんの後押しで走り続けることができた優さんは、今度は後進の日本のライダーが走り続けられる道を切り開こうとしている。
優さんの現地での生活ぶりを知り、勝さんは「すごく1人で生きているから、僕にはマネできない」と好子さんを介して驚きを語る。一方、好子さんはちゃんと食事をとっていることに安心しながらも、「負けず嫌いなので、引き下がれなかったんじゃないかな…」と、家族やレースに対する夫の想いを推し量る。
この日、台湾最高峰のスクーターレース「台湾TSR選手権」が開催され、優さんが所属するレーシングチームをはじめ、台湾全土から数多くのチームがサーキットに集まった。今シーズンの初戦で勝利を飾りたいところだが、優さんは予選で転倒。今年導入した新しいマシンがまだしっくりきていないのだという。不安を抱える中、いよいよ本戦がスタート。3番グリッドからのスタートとなった優さんは前へ前へと果敢に攻め続けトップを目指すが…。
台湾に渡り12年。50歳になった今も自分の使命を全うするため戦い続ける優さんへ、届け物は優さんが創設した日本のスクーターチームのメンバーからの寄せ書き。今も世界のトップで走り続ける優さんを誇りに思う仲間たちからの熱いメッセージがポロシャツにしたためられていた。好子さんからは、「まっちゃんにしかできない使命の舞台をこれからも見届けます」との言葉が。さらに勝さんは手紙で、「日本では僕が頑張るから台湾でもっと輝いてください」と父にエールをおくった。そんな家族や仲間の想いに目を細める優さん。そして「これを見たらまだまだ頑張らないとダメだし、まだ勝ちたいですね。勝っているところを見せてあげたい」とさらなる闘志を燃やすのだった。