今回の配達先は、アメリカ・ニューヨーク。ここで三味線シンガーとして生きるなつみゆずさん(32) 本名・彩香さんへ、富山県で暮らす父・むつおさん(64)、母・富子さん(62)の想いを届ける。
実はこの10年間、彩香さんから両親への連絡は一切なく、娘がどのような生活をおくっているのかも全く分からない状態だという。富子さんは「なぜ疎遠になっていくのか分からなかった」と困惑した様子で、今回はその理由が明らかになるのではないかと期待する。
“三味線シンガー・ゆず”の名前で世界中を渡り歩き、自ら作詞作曲したオリジナルソングで古き良き日本の原風景の魅力を伝えている彩香さん。2022年、念願だったニューヨークに拠点を構えた。世界最大の日本食フェスティバル「ジャパンフェスNY」に出演。激しい雨が降る中にも関わらず屋外ステージは黒山の人だかりで、会場一帯に彩香さんの三味線の音色と力強い歌声が響き渡る。ニューヨークに来て1年にもならない今は、依頼された仕事を1つ1つ全力でやっていくのみ。そんな中、自ら働きかけて「ジャパンビレッジ」という日本の商品を集めた商業施設で毎週ライブを行えるようになった。またジャパンビレッジにある折り紙専門店で働き始めたことで、生活にも少し余裕が出てきたという。実は、三味線を弾き始めてからまだ8年ほど。幼い頃からピアノは習っていたが、自分がやりたいことを実現できる楽器が三味線だったといい、「人や世の中の役に立ちたいという気持ちがすごくある。自分にしかできないことで、日本や世界の文化交流の役に立つ存在になりたい」と志を語る。
中学では常に学年トップの成績。さらに生徒会長や学級委員を務め、部活の剣道の大会では優勝。小さな田舎町では誰もが知るほど優秀だった。一方、両親の顔色をうかがい、良い子を演じていたという。望まれるまま県内一の進学校に進み、学校の勧めもあって東京大学を目指すように。しかし、受験に失敗。別の大学に進学し、東京で一人暮らしを始めるが、両親や周囲の期待に沿えなかったことが大きな悩みとなり連絡を取ることができなくなってしまったという。
若い頃アマチュアでバンド活動していた父と母は、音楽の世界が厳しいことを身をもって知っていた。そのため、「できるわけないだろう」と言われたこともあるという。さらに22歳のとき、パニック障害に。普通の生活ができず辛い日々をおくる中、彩香さんの心を繋ぎとめていたのはしかし、音楽だった。「私はミュージシャンになると決めて音楽の道に進んだのではなく、社会生活ができる唯一の手段が音楽だった」。両親と話をすると、その音楽すら奪われてしまうかもしれない…そんな思いも重なり、完全に連絡を絶ったのだった。ニューヨークでは心を許せるボーイフレンドや友人に恵まれ、今まで話せなかった両親との関係も相談できるようになった。自分自身の道を進むためだったとはいえ、彩香さん自身もこの10年は歩み寄るきっかけが見出せず、常に焦りがあったと打ち明ける。
あるイベントでは、自作の曲「この場所で夢をみた」を披露。自分を縛りつけていた苦しみを乗り越え、音楽を生きる道として定めたときに生まれた歌だった。ニューヨークでまた一歩を踏み出した彩香さんへ、日本の両親からの届け物はヘッドフォン。娘の活動を遠くで見守っていた父が使っていたものだ。父が今、ライブハウスで音響の仕事に携わっていることを手紙で初めて知り、彩香さんから笑みがこぼれる。一方、母からの手紙には10年間、伝える機会すら与えられなかった想いがあふれていた。「一番の願いはあなたが幸せでいること。あなたの幸せに反することなら、しなくていいのです。この手紙が、あなたを苦しめないよう願っています」というメッセージを受け、頬に涙がつたう彩香さん。「私も両親のことを苦しめているし、絶対に苦しいことをわかっていた上でやっぱり会えなかった」と胸の内を明かす。そして「今すぐ会いに行く勇気は出ないけど、どこかで会えたらいいなと思ってます」と率直な気持ちを伝えるのだった。