今回の配達先は、北海道。鍛金工芸作家として奮闘する竹島俊介さん(40)へ、岩手県で暮らす父・英俊さん(72)、母・正子さん(71)の想いを届ける。
夕張郡由仁町のはずれに工房「ゆり介」を構える俊介さん。工房の名前は、デザイン担当の妻・由理江さん(40)の「ゆり」と、俊介さんの「すけ」から名付けた。銅板をひたすら叩き続けることで生み出される作品は、おとぎ話に出てくるような家の形をしたランプや、丸いフォルムの鍋、葉っぱや音符があしらわれたスプーンなど、どれもぬくもりとストーリーを感じるデザイン。「手にする人には、物語の一部になったかのようなワクワク感を感じてほしい」との思いがあるという。現在はオーダーを受けて、“家を守る”といわれるヤモリをデザインした表札の制作に取り掛かっている。
幼い頃からものづくりが大好きだった俊介さんは、鍛金を学べる富山の大学に進学。そこで由理江さんと出会い恋に落ちたが、卒業後、由理江さんは兵庫で就職。一方、俊介さんはものづくりの幅を広げたいと世界を旅することを決意し、資金を貯めるため地元・岩手でアルバイトを始めた。しかし気づけばアルバイト漬けの毎日に。結局、旅も鍛金も手付かずの状況を見るに見かねた由理江さんは、仕事を辞め岩手へ移住する。これにより一念発起した俊介さんは札幌の鍛金工房へ就職し、5年後に独立。そしてものづくりに集中できる由仁町にたどり着いたのだった。
銅は叩くと硬くなり、熱を加えると再び柔らかくなる。表札を作る俊介さんは銅板からヤモリの形を切り出すと600度まで熱し、木槌で大まかな形を叩き出していく。尻尾のパーツだけでも完成までに1000回以上、作品によっては1万回以上も叩き続ける。第2段階では道具を当金(あてがね)と金槌に持ち替え、角度を変えながら叩いて少しずつイメージする形に近づけていく。「型がないからその分難しいけど、比較的自由に色々できる。そういうのが楽しい」と俊介さんは鍛金の魅力を語る。
そんな息子の姿に、「あそこまで時間をかけて作っているんだと感動しました。立派になったなと思います」と喜ぶ母・正子さん。同じく父・英俊さんも「楽しそうにやっているしよかった」と目を細めるが、かつては家族を養うために転職を繰り返していた英俊さんに対し、俊介さんが反発していた時期もあったという。「当時の俊介にしてみれば『一本筋が通ってないな』と思ったのでは。だからこそ自分は一本筋を通して、やりたいことをずっとやっていきたいっていう気持ちを強くしたのかもしれません」と英俊さんは振り返る。
由理江さんに背中を押され、北海道へ渡って16年。ひたすら銅板を叩き実直に作品を作り続ける息子へ、両親からの届け物は俊介さんが小学3年生の時に手作りした絵本。主人公である子どもの象が家族と離れ、ひとり気球で世界を旅するという冒険物語で、両親が大切にとっておいたものだった。「当時の自分なりの力作です」と、熱いものが込み上げる俊介さん。英俊さんからの手紙には「作家への道を選び、好きなものを作りながら家族を養えている俊介をお父さんは凄いと思っています。お父さんはいろいろな経験を積むのが楽しくて、居酒屋とか家具の問屋などで働いてきました。でも結局、やりたい事を見つけられなかった。俊介は鍛金というやりたい仕事を見つけられて本当に羨ましく思います。これからも作りたい物語を生み出していって欲しいと思います」と、仕事に対する本音と応援のメッセージが綴られていた。これを受け、俊介さんは「父がかつてどんな思いで働いていたのか…。今できているのも親のおかげですから」と涙をこらえて語る。そして自身の原点ともいえる絵本と両親からのエールに、「心強くなりました。自分のやりたい事をしっかり信じていいのかなって」と、これからも真摯にものづくりに励むことを誓うのだった。