今回の配達先は、インドネシア。60歳を前に宿をオープンしたオーナーの峯亮子さん(59)へ、愛知県で暮らす姉・喜代美さん(60)の想いを届ける。
バリ島から南に約400キロ、南洋に浮かぶスンバ島はまだ観光地化されておらず、“インドネシア最後の秘境”とも呼ばれている。亮子さんは島東部の山あいの村で、眼下に緑の大絶景が広がる宿のオープンを翌日に控えていた。
日本ではフリーランスのテレビディレクターとして、長年名古屋のテレビ局で番組作りに携わっていた亮子さん。激務に追われ体を壊したこともあって、50歳を前にテレビ業界を辞め、「ちょっと休むつもり」でバリ島へ渡った。だがここで、オーガニック農園を営んでいたハルトノさんと運命の出会いを果たし、人生が一変。2013年に結婚し、バリ島へ移住したのだった。その後、2人でツリーハウスの宿を営んでいたが、新型コロナの影響で廃業し収入が完全に途絶えてしまう。そんな頃、夫婦で訪れたスンバ島の美しい景色に魅了され、人生の再スタートを決心。3年前、貯金を切り崩して1万坪の土地を購入し、何もなかった広大な原っぱを一から開墾してヴィラを自分たちの手で建てた。宿の名前は「ハーツガーデンスンバ」。3棟あるヴィラのうち2棟は、何万本もの竹を切って建てた「竹の宿」。もう1棟は、尖った屋根が特徴的な「マラプ」というスンバ島の伝統家屋になっている。室内の家具や洗面台も、電気も水道も通っていない場所でテント生活を送りながら、夫婦でひたすらDIYして作り上げたものだ。
宿のオープン当日。セレモニーには続々と村の人たちがやってくる。さらに東スンバの観光局局長や軍隊の幹部も出席し、宿に対する地元の期待の高さがうかがえる。直前になってセレモニーを盛り上げる馬が来ないというアクシデントに見舞われたものの、予定より1時間半遅れで何とかスタート。実はこの日は亮子さんの59歳の誕生日でもあり、村の人たちから盛大に祝福を受けた。これからは宿を経営することで村に恩返しをしたいと考えている亮子さんは、「本当に助けられているので、島の伝統を守りながらやっていきたい。ここからは一歩一歩です。お客さんに来ていただいて、喜んでいただいて、進めていくしかない」と気持ちを新たにする。とはいえ、経営が軌道に乗るかどうかは未知数だ。そんな亮子さんの心の支えとなっているのが、亡くなった両親。ふと不安になった時には今も大切にする父と母からの手紙を見返すのだという。
無事宿をオープンした妹に、姉の喜代美さんは「想像以上にすごく頑張ったんだなって感じましたし、これからみなさんと一緒に、いい時間を過ごしていけたらいいなと思いました」と喜ぶ。そして「両親が愛情を持って育ててくれたからこそ、妹もいろんなことに挑戦できるのかなと思いますね」と、仲が良かった家族の絆を語る。
秘境の島での新たな挑戦。愛する夫とともに人生の再出発を始めた妹へ、姉からの届け物はアルバム。箱を開けるとまるで花が咲くように広がり、花びらのようなページ1枚1枚に日本の家族の写真があしらわれている。そこには宿を見ることが叶わなかった父や母の姿も。そんな喜代美さんがお祝いとして手作りした“花束”に、涙がこみあげる亮子さん。天を仰ぎ見て、「母は『亮子ちゃん、ごはん食べてる?』、父は『そんなところに暮らして大丈夫?』って言ってると思います。娘がこんな人生を歩むとは思ってなかったんじゃないでしょうかね」としみじみ語る。そして「やっぱり最後は家族しかないでしょう…それがこれに詰まってるんですね。私の生きてきた人生は間違ってないのかな、いい人生だなって思います」と、家族そのものである届け物を受け取り、晴れやかな表情を見せるのだった。