今回の配達先は、沖縄県の慶留間島(げるまじま)。イタリアンシェフとして奮闘する前田正樹さん(48)へ、大阪府で暮らす母・孝代さん(71)の想いを届ける。那覇市から約40km離れた慶良間(けらま)諸島に属する慶留間島は、人口60人ほどの小さな島。正樹さんはここでイタリアンレストラン「Torattoria Bar 慶留間gnon(ゲルマニヨン)」を営んでいる。10人も入れば満席になる店は完全予約制で、慶留間島では唯一の飲食店だ。島の食材を使うことにこだわり、店で出す料理の野菜はすべて自分で育てたもの。魚介類も自ら釣りあげて調達するか、隣の阿嘉島で直接買い付けた魚のみしか使わない。ある日のランチには、天然酵母を使った自家製のパンを用意。さらに畑で紫大根やベビーリーフ、ハーブを収穫し、貴重なアイゴの稚魚を使った沖縄伝統の発酵食・スクガラスをアンチョビ風にアレンジしてアクセントに。こうして完成したのが、島で獲れたイカやタコに島野菜のサラダとスクガラスを添えた前菜。その後に続く料理も、調味料や香辛料は最小限にとどめて素材の味を最大限に引き出した、この島でしか味わえない一皿だ。開業して12年、隣の島から足しげく通う常連客もでき、夏のピーク時には予約が取れないほどの人気ぶりだという。
正樹さんは大阪育ちで、幼い頃に両親が離婚。母は息子を育てるために昼も夜も働きづめだった。人見知りで友達も少ない息子にさみしい思いをさせないよう、母が何より大切にしていたのが一緒にすごす食事の時間。そんな母に楽をさせてあげたい一心で高校卒業後は料理の道へ進むも、料理人としての理想の姿を見つけられず、飲食店を転々としていた。そんな時、たまたま旅行で慶良間諸島を訪れたことが大きな転機に。「この場所なら理想の店が作れる」とイメージが明確になった正樹さんは大阪でイタリア料理の修業をした後、2007年に慶留間島に移住。野菜作りをしながら準備を進め、移住から4年後にオープンにこぎつけた。だが、大阪に戻ってほしいと迫る母とは言い争いになることもあり、開業後は一度も帰っていないという。かつては人見知りだった正樹さんもアットホームな島の雰囲気に馴染み、10年前には島で出会った女性と結婚。8歳の息子がいるが、現在は妻が親の介護で那覇市に移ったため一人暮らしをしている。息子は島でのびのび育てたいと考えていたものの、母親といた方が子どものためだと別居を決断。とはいえ、なかなか息子と会えず複雑な思いも。一方で、「何年も前に自分が大阪を離れてこっちに来ることになった時も、我が子と離れて暮らすのは相当寂しかったんだろうなって…申し訳ないなと思います」と母と自身の姿を重ねる。
そんな正樹さんの思いを初めて聞き、「覚悟はしていても、沖縄に行った後は1人で家にいるのがつらくて、ただ離れて心配するしかなかった」と母の孝代さん。母子家庭だったため、正樹さんとは食事を一緒にすることと、なるべく話をすることを大切にしていたといい、「ただただあの子をちゃんと育てる、それしかなかった」と当時の心境を明かす。
理想の料理店を追い求め慶留間島に移住し、今では地元にしっかりと根を張って生きる息子へ、母から届け物は正樹さんの大好物だった混ぜご飯の素。「たまには私のことを思い出してほしい」と、母が久しぶりに腕を振るったものだ。懐かしいご飯を、じっくりと噛み締める正樹さん。「おふくろの味ですね。大好きだった味です」と言葉を絞り出すと、「あの時代に1人で育ててくれたのはすごいとしか思えない。これという楽しい思い出はほぼないけど、それは一生懸命育ててくれたからでしょうね」と昔に思いを馳せ、感謝する。そして改めて母に、「自分も夢半ばで、全然思ったようには歩めていないところが多々ある。親としてずっと心配していると思うけど、いろいろありながらもなんとか生きています」と伝えるのだった。