今回の配達先は、イタリア・ヴェネツィア。ここで料理人として奮闘する本間真弘さん(41)へ、岡山県で暮らす父・健夫さん(78)と母・幸枝さん(74)の想いを届ける。幸枝さんは、息子が海を渡ったのは突然の出来事だったといい、「びっくりしました。日本で2年ほど働いた後、大きなリュックサックを背負って『僕はイタリアに行く』って言うて…」と当時を振り返る。健夫さんも「知った時はどうなるんじゃろかと思いました」と心配していたが、今はどんな店をしているのか見てみたいと話す。
100を超える島々で形成される町・ヴェネツィア。車道がなく、運河が縦横無尽に走る水の都を一目見ようと、世界中から観光客が年間500万人以上も訪れる。そんな町の迷路のような路地を抜けた先にあるのが、真弘さんの店「OSTERIA GIORGIONE DA 真」。2年前に開業した大衆レストランで、広さは30人ほどでいっぱいになるぐらい。コロナで激減した客足は昨年から戻ってきているそうで、従業員はキッチンに3人とホールに2人の計5人。それでも人手が足りないため、共同経営者であり普段は美術館で働くパートナーのエリザさん(34)が開店前の掃除を手伝ってくれている。
真弘さんの1日は、市場に顔を出すことから始まる。ヴェネツィアに来て15年になるので、市場の中は知り合いばかりだ。シャコをはじめ新鮮な魚介類が並ぶ中、この時期にしかとれないモエーケという小さなカニを注文し、さらにハマチやサバを店に届けてもらうことに。移動手段はもっぱら渡し船、空きスペースが少なく家賃も高額などヴェネツィアでの生活は大変な面もあるが、真弘さんは「僕の地元でとれる魚と一緒なんです。シャコを食べると田舎を思い出す。それがヴェネツィアを好きになった理由なんです」と語る。この日購入したモエーケは殻ごと串揚げに、とれたてのハマチは彩り豊かな地野菜を添えてカルパッチョになった。これまでこうした本格イタリアンを手掛けてきた真弘さんだが、新しく店を始めたのを機に和食にも力を入れ始め、メニューには手打ちうどんや故郷の岡山県笠岡市で有名なラーメンなどもある。18世紀から続く伝統行事「ヴェネツィア・カーニバル」が開催され島に300万人もの参加者が訪れる夜も、店には観光客の姿はほとんどなく、満席の客はみな地元の住民。真弘さんの枠にとらわれないイタリアンや庶民的な日本料理を求めて、島中の料理人らも食事をしにやってくる。
岡山の実家はスナックを経営し、それ以前は祖母と父が料理店を営んでいた。真弘さんも幼い頃から食べることが大好きだったが、とにかく田舎から離れたいと兵庫・神戸に引っ越し、大学卒業後、料理を一から猛勉強。そして「どうせやるなら」と26歳で言葉も分からないままイタリア行きを決意した。周囲に反対され、現地ではいじめに遭いながらも、1日パン1個で凌ぎながらレストランを転々とし修業を積んだ。エリザさんと出会ったのはヴェネツィアに来てすぐの頃。ともに歩んだ15年の間には詐欺に遭い、貯金が無くなったこともあった。2人で励まし合って乗り越えてきたものの、この1年は特に苦難続きだったといい、真弘さんの母も昨年大病に。そのショックは大きく、仕事にもならなかったほどだが、エリザさんの存在が大きな力になったという。
ヴェネツィアで決してくじけることなく強く生きる息子へ、日本の家族からの届け物は出刃包丁。昨年いっぱいで実家の店を閉めると決めた父が、半世紀に渡って使い続けてきたものだった。さらに母からは、寄り添う夫婦のうさぎが描かれた手作りのオブジェが。天真爛漫な母らしい届け物に思わず笑みがこぼれる真弘さん。そして母が息子への手紙に綴った“ありがとう”という言葉に、「シンプルに心に響きました。これはずっと持っておきます」と喜び、手紙を大切にしまうのだった。