今回の配達先は、アメリカ・ニューヨーク。タップダンサーとして奮闘する舟喜直美さん(25)へ、東京都で暮らす父・力さん(65)と母・重子さん(63)の想いを届ける。一人娘がニューヨークへ行ったことについて、重子さんは「生活や語学の面とか不安はありましたが、やりたいんだったら行ける道を探ろうか、という感じでした」と当時を振り返る。一方、力さんは「細かいことを説明してくれない子で、何でも一言で終わってしまう」と愛娘への不満をこぼしながらも、普段の様子が見られるのを楽しみにする。
世界中からトップクラスのタップダンサーが集まるタップの本場・ニューヨーク。直美さんは3つの「カンパニー」と呼ばれるダンスチームに所属し、そのうちの1つのカンパニーが2日後にショーの開催を控えていた。新型コロナの影響で2年以上全く活動ができなかったが、久々の大イベントに向けリハーサルを重ねている。今回のショーはタップダンサー6人、ミュージシャン4人という編成で、全員が全米で活躍するプロだ。「タップダンスは音楽とダンスが混ざっている。だから、どれだけかっこいい音楽を作れるか…」と直美さん。ショーのテーマは「パンデミックからの解放」で、溜まった鬱憤を音楽とダンスで晴らす今回のステージは、まさに直美さんの2年間そのものでもある。
小学校に上がる頃にはダンスに夢中になっていた直美さん。上手に踊る幼馴染に勝ちたくて、母に「ジャズダンスを習わせてほしい」とお願いするも、連れて行かれたのはタップダンスの教室だった。そんな勘違いから始めたタップだったが、メキメキと才能を発揮し、17歳のときに狭き門のタップダンス奨学生に合格。奨学金を勝ち取りニューヨークに留学した。そこで本場の厳しさを思い知ることになるが、そんなとき母に言われた「何も失うものは無い。得るものしかないのだから失敗しに行きなさい」という言葉に奮起。19歳でプロを目指して再びニューヨークへ渡ったのだった。現在は3つのダンスカンパニーを掛け持ちするプロダンサーとはいえ、生活は安定していない。だが「少し落ち込むことがあっても、今の夢みたいな生活には変えられない。19歳のとき、ニューヨークに来たかった理由が今のこの生活。それができている今、泣きながら帰りたいと思うことは無くなりました」と語る。
ショーの当日。この日を楽しみにしていた観客で900あるホールの席は満席となった。見せ場は、直美さんが即興で踊るソロダンス。ステージで1人タップを踏み、「希望の光」を表現する。そして、メンバーとともに「パンデミックからの解放」「未来への希望」を描いたショーがフィナーレを迎えると、観客は総立ちとなり、万雷の拍手と歓声がホールに響いた。
ずっと思い描いていた夢の世界でプロとして足音を響かせ続ける娘へ、両親からの届け物は、直美さんが中学生のときに着た舞台衣装。自らやりたいと思って実現した思い出の舞台の衣装であり、当時は初めてタップを頑張ろうと思った時期でもあった。母からの手紙には、「思えば、あのステージが、タップがしたい!それも本場で!!と心に決めたタイミングではなかったかと思います。あの頃の、ただただタップが楽しい、もっと上手くなりたいと純粋に思っていた頃を思い出してもらいたく託しました」と、届け物を選んだ理由が綴られていた。その想いに、笑顔だった直美さんも「やっぱり母ですね。私がどんな気持ちで今の仕事に臨んでいるのかが分かってる…」と涙。そして「タップダンスが大好きで、まだまだときめくし、ずっと恋愛している感じだけど、初恋のときを思い出しました。プロフェッショナルになってお金を稼いでも変わらない、ずっと持っていたい気持ちです」と初心にかえらせてくれた母に感謝し、衣装を抱きしめるのだった。