今回の配達先は、カンボジア。首都・プノンペンで建設会社を経営する谷許絵里さん(47)へ、福岡県で暮らす父・幸光さん(89)、母・洋子さん(79)の想いを届ける。「女の子やから、会社に勤めて普通に結婚してほしかった。なので、建設会社をするなんてことは想定外だった」と本音をもらす洋子さん。幸光さんも「設計といっても店の飾りつけぐらいしか思っていなかった」と明かし、実際に現地ではどのように仕事をしているのかは見たことがないという。
デザインの専門学校を卒業後、店舗デザインや設計の仕事をしていた絵里さん。そんな中、内装を手掛けた店舗のひとつがカンボジアに進出することになり、絵里さんも誘われ視察でついていくことに。2013年、実際に現地に来てみると建設現場には道具も揃っておらず、人も時間通りに集まらない。感覚も常識も日本とは全く違い、「このままでは店舗が出来上がらない」といても立ってもいられなくなった絵里さんは、結局自ら現場に立つようになった。それから10年経った今も留まっているのは、エネルギーにあふれた昭和初期のような雰囲気が残るカンボジアに惹かれたから。窮屈な日本よりも、この地の未成熟な環境が自分には合っていると感じたからだという。
現在作っている建物は、日本の企業から依頼された2階建ての居酒屋。カンボジアの建設現場は安い賃金の日雇い労働が多いが、絵里さんは8人のスタッフを社員として雇用。自身もスタッフと一緒に現場で汗を流している。これまで20以上の店舗を手掛けてきた絵里さんが大事にしているのは、木の風合いを生かした和のデザイン。だがその作業工程は独特で、工事をスタートする時はまだ設計とおおまかなイメージのみで、デザインは完成していないのだそう。建設しながら並行してデザインや素材を考えていくことで発想力を高める、そんな日本では不可能な自分だけのスタイルにたどり着いたのだった。また、カンボジアでは日本では考えられないトラブルが多発するため、アフターケアを定額契約で請け負うという新たなサービスも始めた。そうすることで安定した雇用に繋がり、スタッフも真摯に働いてくれるようになったという。
思い立ったら行動せずにはいられない絵里さんは、これまで母と度々ぶつかってきた。ただ、今は「ずっと家を出ている状態ですし、両親も結構な年になってきたのでなるべく一緒にいてあげたいと思う」と心境を明かす。そのためにも、「うちの従業員が自発的に現場を取り仕切るようになって、私がいないときも同じようにみんなでやってほしい」と願っている。
カンボジアに飛び込み10年。走り続けて来た娘へ、日本の両親からの届け物は母の手描きの絵。幼い頃の絵里さんの写真をモデルにした水彩画だ。そんな絵を眺めながら、これまで母に対して抱えてきた想いをぽつぽつと話し始める絵里さん。「勝手に想像した“娘像”には添えてないのかなというのはずっと思っていた」と語るその目には光るものが。そして母からの手紙には、「昔は『産まれて来てくれてありがとう』とどれだけ思ったか分からないのに、段々と小言ばかり言ってきた気がして申し訳なく思いました」という謝罪の言葉と、「私はこの絵里の“ブサカワ”の笑顔に本当に癒されてきました。辛い時はこの笑顔を見て、穏やかでゆたかな日々を送って下さい」とこの絵を届けた理由が綴られていた。絵里さんは「カンボジアの人は、家族が病気になったらみんなが一緒にそこへ行く。やっぱりうらやましいですよね。迷惑かもしれないけど、私も親のそばにいる時間をもっともっと増やしていこうかなと思います」と改めて決意を口にするのだった