今回の配達先は、オーストラリアのパース。ショコラティエとして奮闘する中村有希さん(40)へ、埼玉県で暮らす母・美千代さん(69)の想いを届ける。美千代さんによると、有希さんが日本にいた頃は一般的な仕事をしていて、ショコラティエになったのはオーストラリアへ渡ってから。「ただ、気持ち的にはずっと温めてあったんじゃないかと思います」と振り返る。
オーストラリアの西側に位置する港町・パースは、シーフードや果物など豊かな自然が生み出す食材が豊富な“食の町”。そんなパースで一番のグルメストリートの一角にあるギフトショップでは、有希さんのブランド「Nakamura Chocolate(ナカムラチョコレート)」のチョコがレジ前の一番目立つ場所に並んでいる。味の良さはもちろん、華やかな色合いと芸術品のような美しいフォルムが特徴で、少し贅沢な高級品として大切な人へのギフトや、自分へのご褒美に売れているという。有希さんが得意とするのは、様々なフレーバーとテイストの掛け合わせ。日本産のユズを使ったチョコレートには、庭で育てているタイムというハーブを合わせている。タイムをフレーバーとして加えることによって、オーストラリアではなじみのないユズが食べやすくなるのだという。ユズとタイムの他にもイチゴと宇治抹茶など、自宅裏に構えた工房で手作りするチョコレートは24種類にものぼる。中でも、高い評価を受けているのが、オーストラリアの先住民族・アボリジニが食べていたブッシュフードと呼ばれる伝統食を取り入れた「オーストラリアン・セレクション」。ユーカリの葉をはじめ、オーストラリアならではの野生の植物や果物のフレーバーを使用したこのチョコレートは、オーストラリア最大級の商業祭「パース・ロイヤル・ショー」で何度もグランプリに輝いている。パッケージのデザインを担当するのはデザイナーでもある夫のマーロンさん。日本で出会ったマーロンさんとは遠距離交際を経て、2008年に有希さんがオーストラリアに移住し、3年後に結婚した。子育てや家事の分担を含め2人はチームであり、夫婦二人三脚でナカムラチョコレートは作られている。
有希さんのショコラティエとしての原点は、幼い頃、父がフランス土産で買ってきてくれた1箱のチョコレートだった。そのおいしさ、美しさに衝撃を受け自分でも作りたいと思うように。父も「後悔しないよう好きなことをしなさい」と背中を押してくれていた。だが、母と離婚後、1人暮らしをしていた父が火事に遭い死去。家族の写真もすべて燃え、有希さんの手元に残るのはたった1枚しかない。予期せぬ別れにショックを受け、一時は何も手につかなくなった有希さんだが、やがて父との思い出を胸にショコラティエになることを決意。オーストラリアの製菓学校を卒業して経験を積み、2010年にナカムラチョコレートを立ち上げた。最初はパース中の店に売り込んでも相手にされず心が折れそうになったものの、父への思いを支えにがむしゃらに走り続け、今ではデパートや高級スーパーから次々とオファーを受けるほどに。次の目標はナカムラチョコレートを日本でも有名にして、母を安心させることだという。
現在はさらに活動の幅を広げ、地元のワインメーカーとチョコレートの共同開発に取り組む有希さん。チョコレートを通じてオーストラリアの魅力を伝えたいと新たな目標に向かって邁進する娘へ、日本の母から届け物は家族のアルバム。実はいくつかの写真が火災を免れ、父の遺品として母の手元に届いていたのだった。その存在を知らなかった有希さんは驚き、号泣。「すごくうれしい」と親の愛を感じる思い出の写真に涙が止まらないのだった。