今回の配達先は、オーストラリア第2の都市・メルボルン。熱気球パイロットとして奮闘する石原三四郎さん(38)へ、佐賀県で暮らす父・十四郎さん(73)、母・洋子さん(73)の想いを届ける。
三四郎さんはメルボルンを拠点とする熱気球ツアー会社「グローバル・バルーニング」に所属し、街の中心部から車で1時間の場所にあるヤラバレー地区で働いている。メルボルンは世界で唯一、熱気球で街の上を飛ぶことができる人気の場所。しかし三四郎さんは、24人も乗れる大きな気球のフライトができるヤラバレーにこだわり、この地で熱気球パイロット兼エリアマネージャーを務めている。ヤラバレーはオーストラリアを代表するワインの生産地で、広大なブドウ畑を気球から見下ろせるのも魅力のひとつ。だが、天候の移り変わりが激しく、しかも気温や風の関係で、飛行が可能な時間は日の出からわずか1時間ほどしかない。そのチャンスを逃さないよう、三四郎さんは万全の準備を進める。飛べないと判断すると、客を連れて別のポイントへ移動する。こうして離陸地点が決まると再び入念に準備を進め、いよいよフライトへ。熱気球は上下にしか操縦ができず、高さは高度計で確認する。また左右の舵は取れないため、タブレット上の地図とGPS、さらには地上にいるクルーと連絡を取り、位置や風向きをチェック。空の上にいるスタッフは自分だけなので、気球を操りながら乗客をもてなすのも大切な仕事だ。三四郎さんは「多くのお客さんと空中散歩をしているので緊張感はあるけど、自分の思い通りにいかない自然が相手なので、自然の大きさを感じられるのが楽しいし、これは普段の生活からは得られないものですね」と熱気球の魅力を語る。
生まれ育った佐賀は元々熱気球がさかんな都市。父は趣味で熱気球パイロットを務めており、三四郎さんが気球に初めて乗ったのは3歳のときだった。気球に魅了され、父から操縦を教わった三四郎さんは、親子で世界大会にも出場。やがてプロとしてこの道で生きていきたいと願うも、世界とはルールが違う日本では難しいと痛感する。そこで29歳の時、会社を辞めオーストラリアへ移住。ライセンスを取得し、今の職を掴んだ。自宅は人里離れた山の中。気球のために天候が確認しやすい標高の高い場所を選んだという。毎晩8時に寝て、朝2時に起床。酒も飲まず、休みもほぼない生活をおくる。加えて、オーストラリアが忙しくない冬の時期に、繁忙期の夏のヨーロッパで働くためのライセンス取得に向けて勉強中で、日本に戻るつもりは「今のところはない」と話す。そんな息子の姿に、同じ熱気球パイロットである十四郎さんは「準備がよくできているし、技術も自分のものにしている。後輩恐るべしです」と感心。一方で、洋子さんは「あんな山の中に住んでいたら来る人がいるのかな…」といまだ独身の三四郎さんを心配する。
年間のフライト数はおよそ160回。だが風も景色も何ひとつとして同じことはなく、飛ぶ度に新たな発見がある。今はただ熱気球が人生の全てで「結婚どころじゃないですね」と笑う三四郎さんへ、父からの届け物は高度計。2人で熱気球に乗る時にはいつも一緒に飛んでいた思い出深いもので、「御守りとして手元に置いてください」とのメッセージが添えられていた。当時の父とのフライトを懐かしそうに思い出す三四郎さん。そして「この先は日本の気球も変えて行かなきゃいけないことがある。そこに携わって、少しでも自分の経験を日本で活かせていけたら…」と将来の構想を明かすのだった。