今回の配達先は、アメリカ・ロサンゼルス。エンターテインメントの中心地・ハリウッドを擁し、アメリカンドリームを掴もうと世界中からクリエイターが集まる芸術の街で衣装クリエイターとして奮闘する見留小織さん(39)へ、神奈川県で暮らす父・治夫さん(72)、母・友子さん(71)の想いを届ける。
小織さんが作る衣装は、デニムと革など質感が異なる様々な素材を組み合わせるのが特徴。常識にとらわれない発想で独創的な衣装を生み出し、2018年にロサンゼルスで行われたファッションショーでは入賞も果たした。また現在抱えているプロジェクトが、バレエの舞台衣装。新進気鋭のバレエダンサーが手掛ける新しい形の公演で、元々は縫製の手伝いで携わった仕事だったが、夏の公演で衣装担当に抜擢されデザインから任されることになった。コンセプトは「ファッションとバレエの融合」。衣装にはハイブランドの洋服のような優雅さとダンサーのパフォーマンスを引き立てる機能性の両立が求められる。しかし、全7パターンを制作するのに与えられた時間はわずか2週間だった。一番の難関が男性用のズボンで、一般的なバレエ衣装では使わないデニムやシャツ用の生地を裁断したパーツは30枚もあるうえ、4種類の生地を組み合わせた複雑なデザイン。期日が迫る中、丈が足りないというアクシデントにも見舞われるが、作業が山積みでも妥協することはなく、仲間の手も借りながら夜通しでミシンを踏み、なんとか締切までにすべてを完成させた。作品の世界観が表現された宣伝用の写真には、そんな小織さんの衣装が花を添えている。
中学の時に出会ったX JAPANのhideのヴィジュアルに衝撃を受け、ファッションに興味を持った小織さん。高校時代には短期留学でロサンゼルスを訪れ、ファッションでハリウッド映画に関わりたいと思うも一歩を踏み出すことはなかった。しかし、19歳の時に24歳だった兄が事故で急逝。「“明日はない”ということを実感してしまった。兄の分まで悔いのない人生を…」そう誓った小織さんは、22歳で単身渡米。英語と服飾の専門学校を卒業後、アシスタントとして経験を積み、33歳でようやくクリエイターとして活動を始めた。コネはなく、英語が完璧ではないというハンデもあり苦しい日々が続いたが、丁寧な仕事と熱意で少しずつ信頼を勝ち取り、ついに2年前に大きなチャンスが。人気歌手のミュージックビデオに衣装制作で参加。この実績が評価され仕事は増えてきているという。そんな娘の様子に、仕事ぶりを知らなかったという父の治夫さんも「自分の努力も含めて、いろんな経験をしたんでしょう」と目を細める。一方、母の友子さんは当時アメリカ行きの背中を押したと明かし、「一生に一回だから行ってきなさいと。逆に彼女がここまで続けてきたことに対して力をいただいています」と今の姿を喜ぶ。
小織さんの作品はアートとしても評価され、市内のギャラリーにはアメリカ国内で注目されている若手アーティストの作品とともに衣装が展示されている。だがそれでも、「まだ駆け出しじゃないですか。ここからまた経験値を上げていくところなので」と気を緩めない。もっと大きな仕事に関わって両親に恩返しを…と日々ミシンを走らせる娘へ、届け物は友子さんが手作りしたステンドグラスアート。モチーフに選んだ聖母マリアの母子像は、実は友子さんと小織さんをモデルにしている。我が子の無事を祈って作ったという母の想いに、小織さんは「うれしいです。本当は心配が1000%だと思うんですが、あまり表立っては言わない。そうやって信じてくれていることがモチベーションになりますし、早くまた会いたいです」と感謝を伝えるのだった。