2012年、アメリカ・ヒューストンで自転車のフレームビルダーとして奮闘していた案浦攻さん(当時45)。日本でトップクラスの競輪選手として活躍していた攻さんは40歳の時、突然引退。すべてのキャリアを捨て、妻の母国であるアメリカに渡り第2の人生をスタートさせた。
自宅のガレージを改造した作業場で、ハンドメイドで製作しているのは、自転車のフレーム部分。「今は、チタン製やカーボン製で軽くてよく走る自転車もあるんですけど、自分が作るのはスチールでできた昔ながらの自転車。これにはこれの良さがあるから、私のところに来るのは “シンプルでよく走る自転車が欲しい”っていうお客さんですね」。フレームはまさに自転車の要であり、その良し悪しが乗り心地や性能を決める。そこでオーダーするお客さんからパイプの太さや材質など細かな要望を聞いた上で体を採寸し、使用目的に合わせて、背中の角度など20カ所近くをチェックする。それらを基に作成した設計図に従ってパーツを作り、溶接。ミリ単位の誤差が自転車のスピードを大きく左右するが、競輪選手だった経験が精度の高いフレーム作りに役立っている。
高校の入学祝いで念願だった競技自転車を買ってもらった攻さんは、高校時代から大学まで自転車漬けの毎日をおくり、23歳でプロの競輪選手となった。その後、最高峰であるS1クラスまで登り詰めたが、選手として脂の乗っていた40歳で突如引退。子育てに疲れた妻・スーザンさんを気遣い、彼女の故郷であるアメリカへ移住するためだった。しかし、それまで競輪一筋だった攻さんは当初思うように就職できず、様々な職業を経験する。そんな時に頭に浮かんだのが自転車のフレームビルダーの仕事だった。まだまだ1人で家族を養うのは難しく、地元で不動産の仕事をしている身重のスーザンさんと共働きだが、丁寧な仕事ぶりで徐々に注文は増えている。
フレームビルダーを始めて3年。毎日が試行錯誤の連続だという攻さんへ、両親からの届け物は、高校の時に初めて買ってもらった競技自転車のフレーム。「親父は大きなチャレンジの時には優しく見守ってくれ、何かあった時には援助してくれた。そして『俺には返さなくていいから、お前の息子たちに同じことをしてやれ』と。その意志をしっかり受け継いでいきたい」と、攻さんは懐かしいフレームを見つめながら誓ったのだった。
あれから10年。山口智充がヒューストンの攻さん(55)とリモート中継をつなぐ。実は現在、フレームビルダーの仕事は休んでおり、スーザンさんが経営する不動産会社を手伝っているそう。一方で、50歳の時にアマチュアとして自転車競技に現役復帰。2018年から19年、21年と全米マスターズの自転車トラック競技・スプリントで見事優勝を飾り、今はマスターズ世界選手権での優勝を目指しトレーニングを重ねている。カメラの前にはスーザンさんと3人の息子も登場。18歳の長男はゴルフ部の副キャプテンを務めながら弁護士を志し、16歳の二男はレスリング選手に。10年前はまだお腹の中にいた三男は9歳になり、今はゴルフとレスリングをしているという。攻さんは、誰も自転車競技に携わっていないことに苦笑いしながらも、「アメリカはいろいろとチャンスがあるので、自分の行きたい方面で実力を発揮してもらいたい」と息子たちを優しく見守り、応援する。