今回の配達先は、長崎県の壱岐島。イルカパークの再建に奮闘する高田佳岳さん(44)へ、東京で暮らす妻・綾子さん(39)と母・明美さん(74)の想いを届ける。夫から壱岐島に移住すると聞いた時、綾子さんは「びっくりしましたが、ほとんど決まっていた状態で報告を受けたので引き止められない状況でした」と、事後報告だったことを明かす。家族も一緒に移住しようとも言われたが、東京での仕事や2人の子どもの生活もありすぐには決断できなかったという。そんな家族を明美さんもサポートしてきたというが、実は佳岳さんが壱岐島に行くのは3年間の予定だったといい、綾子さんは「その3年がもう過ぎているので、いつまでいるのか、これからどうしていこうと思っているのかを知りたい」と話す。
佳岳さんが経営する「壱岐イルカパーク&リゾート」は、元々は壱岐の町おこし事業として1995年に作られたイルカの飼育施設で、毎年莫大な赤字を何十年も出し続けていた。4年前、佳岳さんが初めてこの地を訪れたときは、小さな枠の中にイルカを囲ったまま。医療機器も揃っておらず、体調が悪化したイルカが手遅れになることも多かった。トレーナーも「動物に感情移入してはいけない」という考えだったという。そんなありさまだった施設を助けてほしいという要請をずっと断り続けたが、役所から何度も懇願され、再生に踏み切ったのが3年前。「やるからには徹底的に」と島に移住した佳岳さんは施設を丸ごと買い取り、建物から人材育成まで全てを一新し、1年で黒字化させた。ただ翌年から新型コロナの影響で客が激減したため、今も課題は山積みだという。
子どもの頃から自然が大好きで、週末になると地元・横浜の海で素潜りばかりしていたという佳岳さん。大学生のときにはフリーダイビングの日本代表になり、かのジャック・マイヨールと交流を持ったことも。さらに海洋学を専攻していた大学院時代は研究のために北極圏へ赴き、シロクマと対峙するなど何度も死と隣り合わせの経験をしたという。卒業後は大手広告代理店に就職するも普通の枠には収まらず、東日本大震災で被災した人々に笑顔を取り戻してもらおうと、被災地で花火大会を決行した。そして会社を辞め、過疎化で苦しむ離島復興の仕事に就いたときに壱岐島を視察。たまたま訪ねたのがイルカパークだった。
施設の再建を目指す中、大きな転機となったのがアメリカにある「ドルフィン・リサーチ・センター」の視察。世界一のイルカ施設といわれるセンターでは、壱岐では数年で死なせていたイルカたちが35年ものびのびと生き、トレーナーも楽しそうに働いていた。壱岐とは全く違う幸福感に満ちた環境に「目から何百枚もウロコが落ちた」と佳岳さん。“イルカも人もありのまま”という原点回帰が再生の糸口となったのだった。現在イルカパークでは、自然の入り江を利用した大きなプールで、6人のトレーナーが4頭のイルカを飼育している。また、さらなる再生に向けてお客さんに提供するアクティビティの種類も年々増やし、島全体を盛り上げようと、子ども向けのサバイバルツアーもスタートさせた。
「誰よりも自分が一番楽しむこと」をモットーに、思いつくままに生きる佳岳さんへ、東京で暮らす家族からの届け物は妻と2人の子どもが手作りしたクッキー。満面の笑みを浮かべる家族4人の顔が描かれたクッキーと妻の本音が綴られた手紙に、佳岳さんは笑顔になるが、その目からは涙があふれる。そして、子育てを一手に担いながらも「決めたことは納得がいくまで頑張ってほしい」と応援してくれる妻に感謝するのだった。