過去の放送

#6453月27日(日) 10:25~放送
オーストラリア・メルボルン

 2014年、オーストラリアのメルボルンでバスカーとして奮闘していたジョージ・カミカワさん(当時39)。オーストラリア第二の都市、メルボルンの大通りには「バスカー」と呼ばれる路上パフォーマーの姿が多数あり、メルボルンの名物となっている。世界中から集まるバスカーの数は約800人。彼らの管理はメルボルン市が行っており、市のオーディションに合格した優れたバスカーだけが大通りに立つことができる。そんな町で活動するジョージさんのパフォーマンスは、ギターやドラム、ハーモニカなどの楽器を全て1人で演奏しながら歌うというユニークなスタイル。2004年にはメルボルン市が開催したバスキングコンテストで見事優勝し、一気に知名度を上げた。そして今やメルボルンのNo.1バスカーと言っても過言ではなく、集客率はトップレベルで、いつも周囲には黒山の人だかりができている。「他と同じことをやっても人は集まらない。人が止まるように工夫をしてやっています」と努力を怠らないジョージさんは、30分のワンステージを1日5回、これを週3回行い、生活費の全てをバスカーの収入だけで賄っている。
 幼少の頃、父が持っていたビートルズのレコードを聴いていたのが音楽を始めるきっかけに。中学からはギターが得意だった兄の影響を受け、自身でもギターを弾くようになった。プロのギタリストを夢見た時期もあったが、大学卒業後は一般企業に就職。しかしサラリーマン生活に全くなじめず、1年で会社を辞めて、24歳のときにワーキングホリデーでニュージーランドへ渡った。その時に出会ったのが、路上で演奏するバスカー達。お客さんの評価がリアルに感じられる姿に魅了されたという。最近では路上だけでなくライブイベントの依頼も増え、メルボルン在住の日本人津軽三味線奏者とユニットを組んでライブ活動も行っている。メルボルンに来て14年、ミュージシャンとして着実に活動の幅を広げる一方で、気がかりなのが日本の兄のこと。直接伝えたことはないが、亡き父の工場を継ぎ、家族の面倒を見てくれている兄に対し申し訳ない気持ちがあると明かす。そんなジョージさんへの届け物は、兄がずっと大切に保管していたビートルズのLPレコード。かつて父が兄弟のために買ってくれたものだった。添えられた手紙には、「実家のことは俺に任せて、お前は思う存分、音楽を頑張ってほしい」とのメッセージが。初めて兄の想いを知り、ジョージさんは「兄ちゃんが気にするなと言ってくれているなら、もっと頑張らなあかんなと思いますね…」と感極まるのだった。
 あれから8年。山口智充がメルボルンにいるジョージさん(48)とリモート中継をつなぐ。メルボルンはコロナ禍によるロックダウンの期間が累計262日と長く、その間は全く路上ライブも行えなかったという。ようやく活動が再開できたのは、昨年のクリスマスの時期。日常が戻りつつある現在は、バスカーとして路上に立つと、以前同様多くの観客が集まり演奏を楽しんでいる。また前回、兄から届いたビートルズのレコードに感動したというジョージさん。放送後に帰国してからは兄と一緒にライブや動画配信を行うようになったそうで、その映像を紹介する。兄弟がセッションする様子に、山口も「かっこいい!」と感嘆。「僕がメルボルンに行ったときにはぜひお会いしたい」という山口に、ジョージさんは「一緒にジャムセッションやりましょう!」と応えるのだった。