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#6391月30日(日) 10:25~放送
父島

 今回の配達先は、東京の小笠原村。ジャンベ作家として奮闘する木村優さん(36)へ、北海道で暮らす父・孝さん(72)、兄・隼人さん(39)の想いを届ける。
 東京から南へおよそ1000キロの位置にある、小笠原諸島最大の島・父島。島へ行くには、週に1度運航している定期船で25時間もかかることから「日本で一番行きにくい島」とも呼ばれるが、青い海と緑豊かな山に囲まれ、多くの人が訪れる大人気の観光地でもある。優さんはそんな地で、2021年9月に自身で作り上げた工房「太鼓と器 KIMURANOKI」をスタートさせた。優さんが作っている「ジャンベ」とは、独特の音を奏でる西アフリカが起源の民族楽器。販売している店は多いが、一から最後の仕上げまでを施す職人は日本では優さんただ1人だ。1本の丸太から作り出していくジャンベ。優さんは、繁殖力が強いため島で問題になっている「アカギ」という外来種の木を有効活用しようと、業者から無料で譲ってもらい材料にしている。まずは80キロもあるアカギの丸太を回転させながら、大型の彫刻刀を使ってボディのアウトラインを削り出す。師匠はおらず、海外の動画サイトを見ながら独学で製作してきたという優さんは、「何が正解とかはないけど、自分がかっこいいと思う形にしたいし、そこはこだわりがある」と語る。5時間かけてアウトラインが出来上がると、一番重要な工程である「空洞作り」へ。丸太を均等な厚さで貫通させないと音の響きが変わるため、特殊な機材を駆使して作業に集中する。さらにヤギの皮を張る作業など20もの工程を経て、ようやく完成となる。このようにジャンベ製作は大量生産ができないため、現在は器や一輪挿し、ランプシェードなど生活雑貨も作って販売しながら生計を立てている。
 飲食店を営む両親が多忙だったことから、2歳年上の兄とはいつも一緒だったという優さん。ファッションや音楽など大きく影響を受けた兄の後を追い、高校卒業後は陸上自衛隊に入隊する。だが現実は厳しく、任期満了で退職。そして24歳の時、たまたまアルバイトでやってきたのが音楽の盛んな父島で、音楽祭で耳にしたジャンベの音色に魅了された優さんは「ジャンベをこの島で作りたい」と移住を決心する。とはいえ、日本でジャンベ作りをしている人がいなかったため、島で10年以上別の仕事をしながら独学で製作。2021年、ようやく自身のブランドを立ち上げた。同じ移住者だった妻の真澄さん(36)とは2年前に結婚。一方、北海道で暮らす母の和子さんは当時、がんで余命を告げられ闘病生活を送っていた。母が亡くなったのは、優さんが結婚式を前に帰省しようとしていたその日の朝だった。遠く離れて側にいることができなかった母に対して、そして母の看病をしてくれていた父と兄に対して、優さんは申し訳ないという気持ちが今も消えないという。そんな弟の想いを聞き、兄の隼人さんは「ケガはないかとか、ちゃんと生業になるのかとか、母は心配していましたね」と当時を振り返る。父・孝さんも「(優さんは)遠く離れていて何もできなかった。ほとんど長男の隼人が動いていたから、それに対してはやっぱり兄貴に申し訳ないと思っていたんじゃないのかな」と息子の心中を推し量る。
 ジャンベが奏でる音色に惚れこみ、北国から辿り着いた南の島で夢を追い続ける優さんへ、家族からの届け物は闘病中だった母が優さんに宛てた直筆のノート。実は、葬儀の時に兄が優さんに渡そうとしたものの「見るのが苦しい」と受け取らなかったものだ。今回そのノートを読み、思わず涙が零れ出る優さん。母の想いに触れ、「きっと母さんは生きていたら、僕がやりたいことをして暮らしていることを喜んでくれていると思う。だから自分のやりたい道を全力で突き進みたいという思いがより強くなりました」と気持ちを新たにしたのだった。