今回の配達先は、アメリカ・ニューヨーク。ケーキデザイナーとして奮闘するヒロヨ・ルイスさん(41)へ、東京で暮らす母・幾子さん(74)、兄・弘至さん(46)の想いを届ける。ヒロヨさんは19歳で単身渡米。幾子さんは「ニューヨークの学校に行くというので3カ月ぐらいで帰ってくるのかと思っていたのに、帰ってこなかった。慌てて電話したら『こっちで就職するから』と。それで22年経ちました」と打ち明ける。一方、弘至さんは「(妹が)自分の店を持ってすぐにコロナ禍に陥ってしまった」と話し、「その中で上手くやれているのか…」と様子を気に掛ける。
2年半前、ヒロヨさんはマンハッタンに自身の店「SOMA CAKES NYC」をオープン。ヒロヨさんが作るのは世界にひとつだけのオーダーメイドケーキで、その独創的なデザインを求めて有名セレブからの依頼も多い。コロナ禍から賑わいが戻りつつある2021年12月の注文数は30件にものぼる人気ぶりだ。そしてこれから、200人分の大きさのバースデーケーキに取り掛かろうとしていた。今回は「パーティーを開くホテルのインテリアとマッチしたもの」「花はユリがいい」という要望をもとにデザインを考えるが、「デザインがお客さんに気に入ってもらえないこともすごくある。要望を入れて、製作までにこぎ着けるのが一番苦労する過程ですね」と明かす。デザインが決まると、シュガーペーストという砂糖で作った生地を使って、本物そっくりなユリの花をはじめケーキを飾る数々のパーツを製作。続いてフォンダンという乾燥しにくい生地で固めたケーキを3段重ねて土台にし、そこへパーツをデコレーションしていく。朝から晩まで、長い日では12時間近く立ちっぱなしでケーキを作り続けるといい、店をオープンした当初は徹夜続きで厨房の床で寝ていたことも。それでも「楽しい」というヒロヨさん。こうして1週間かけてイメージ通りのケーキが完成した。
独学でケーキ作りを始めたのは小学生の頃。19歳の時、テレビで見たニューヨークで活躍する女性シェフに憧れて渡米を決意する。現地の料理学校を卒業すると、有名日本料理店のデザート部に5年間勤め、その後もニューヨークやパリのケーキ店などで腕を磨いた。19歳で日本を発った背景には、自身の家庭環境も影響していたという。家庭を顧みず自分勝手な生き方をしていた父。それにより家族の関係はギクシャクしていた。父のことは大好きだったが、多感な10代になるとそんな環境から離れたくなり、渡米して10年以上日本には帰らず家族と向き合うこともなかった。そんな中、2006年に父が心筋梗塞で急逝。「ずっと連絡していなかった私が悪かったけれど、父が亡くなって大分経ってから亡くなったことを知った。それは若気の至りでは済まされない、唯一後悔していることです」と心の内を明かす。
日本を飛び出して22年。世界一競争の激しいニューヨークで懸命に働き、店も軌道に乗り始めた娘へ、母からの届け物は亡き父が残していたファイル。父は渡米したヒロヨさんから届いた数少ないメールを全てプリントアウトして、大切に保管していたのだった。メールには、口下手なヒロヨさんが本当に伝えたかった日本の家族に対する想いの数々が綴られていた。また、届け物に添えられた母からの手紙には「今のヒロヨのケーキをお父さんに見せられないのがとても残念ですが…ヒロヨのそばにいますね」との言葉が。母のメッセージを受け、ヒロヨさんは「いいケーキを作って人を喜ばせたい。それが一番母も父も喜んでくれると思うし、そのために生まれてきた気がするので、使命を全うしたいと思います」と誓うのだった。