2015年、アメリカ・フロリダ州最大の都市、ジャクソンビルで切り絵アーティストとして創作活動していた水貝宏美さん(当時38)。自ら描いた下絵を基に、フリーハンドで細い線を切り出して繊細かつ独創的な世界観の作品を生み出す宏美さんは、フロリダでも新進気鋭のアーティストとして注目されていた。家族は、日本で英語教師をしていた夫のロイさんと、11歳になる娘の仁愛ちゃん。結婚を機に、2004年に夫の実家があるフロリダへ渡って11年になるが、実は3年前までは普通の主婦だった。アーティストへと変貌するきっかけとなったのが、脳梗塞で倒れた義母の介護生活にあった。家の中で看護にかかりきりになり、心身共に過酷な生活をおくっていたとき、「自分が楽しめることをしないと、このままでは心の病気になってしまう」と、以前から興味があった切り絵を独学で始めた。その作品は誰の目にも触れることはなかったが、ある時友人が集まるパーティーで、夫から「切り絵をみんなに見てもらったら?」と背中を押されたのが転機に。宏美さんの才能に惚れ込んだ友人たちが、ギャラリーや大学教授など美術関係者に売り込んでくれたことで、専業主婦からアーティストへの道が開けたのだ。作業場はリビングの片隅で、使っているナイフはスーパーでも買える一般的なもの。そこから生まれる作品が、今や地元のカマー美術館の一番目立つ場所に展示されるまでになった。この美術館に展示されることはアーティストにとって大変な名誉で、自分の作品を全米、そして世界の人々に知ってもらう大きな一歩となる。アート活動を始めて3年、「まさか美術館というところに、自分の作ったものが置かれるなんて…夢みたいです」としみじみ語る。
宏美さんは17歳の時に母を、25歳の時に父を亡くした。5歳年下の妹・いづみさんだけが唯一の家族となったが、宏美さんは結婚後フロリダへ。離れ離れに暮らす妹とは、「あまり仲良くなかった。年が離れているので、妹から甘えられてもあしらっていたし、妹が大人になってからは、私が親のようにガミガミ言うのでうるさく思われている。でも私しかいないので…」と、微妙な関係だと打ち明ける。フロリダに渡って11年。母として、アーティストとして歩み続ける宏美さんへ、いづみさんからの届け物は「交換日記」。ノートの左側には、父や母が亡くなった時、姉がアメリカへ立つ日など人生の節目節目を振り返りながら、その時は伝えられなかった本心が52ページにわたって綴られていた。日記を読んだ宏美さんは「知らないことがいっぱい書いてあった。実はさみしかったんだなと…」と涙をこぼし、「これからは親代わりではなく姉妹として、関係がいい意味で変わりそうです」と妹の想いを受け止めたのだった。
あれから6年。ぐっさんがジャクソンビルのアートスタジオにいる宏美さん(44)とリモート中継をつなぐ。妹のいづみさんとは、以前は年に1、2回程のやりとりしかなかったが、今では頻繁に連絡を取り合っていると姉妹の関係に変化があったと明かす。また、宏美さんが10カ月かけて制作した巨大作品を披露。3メートルを超えるこの作品は、個人のコレクターから「自由に作って」と発注されたものだという。1枚の紙から切り出していた取材当時の作品から、表現の手法も増え、大きな仕事の依頼を受けたり、自分が付けた値段で作品を購入してもらえるようになった。宏美さんは、アートの売り上げで家族3人が生活できるようになったことが、この6年の一番大きな変化だと、充実した表情でぐっさんに報告する。