今回の配達先は、鹿児島県霧島市。木工作家として奮闘する寳園(ほうぞの)純一さん(40)へ、大阪で暮らす父・下野清助さん(70)、母・裕子さん(67)、祖母の寳園ケサミツさん(99)の想いを届ける。下野家の二男である純一さんは、12年前に突然、亡き祖父がいた鹿児島に移住。さらに祖母と養子縁組して、母方の名字である「寳園」に改姓した。「家族から抜けることになるので、本心では寂しかったし、お父さんも嫌だったと思う」と裕子さん。当時、息子と一緒に仕事をしていた清助さんは、「すべて事後報告だった」と明かす。
地元の木材を使って、キッチン雑貨やインテリアの装飾品など一点ものの作品を作る純一さん。ショップと工房を併設する自身のアトリエ「KOSHIRAERU(コシラエル)」は間もなく完成予定で、食品を扱う商店だった祖父の家を自らリノベーションしている。工房には、様々な種類の木材がずらりと並ぶ。新品は使わず、裏山の川に流れついた流木や、近所の人から譲り受けた廃材を活用するのが純一さんのやり方。すべて手作業で、それぞれの木と対話しながらイメージした形に削り出していく。だが時にはうまくいかず、別の木材で一からやり直すことも。そんなこだわりから生まれる作品は全国から絶え間なくオーダーが入るため、現在は納品まで数カ月待ちという人気ぶりだ。
電気店を営む下野家の二男として生まれた純一さん。鹿児島で暮らす母方の祖父・寳園重治さんは人を楽しませることや物を作るのが好きで、小さい頃は、夏休みに帰省したときに出会う重治さんの作品が大好きだったという。そんな祖父の影響もあって、ものづくりをしようと芸術大学に進学。だが動き出すことのないまま、卒業後は父親の下、電気店で働いた。転機は、愛する祖父の死。「やるしかない」と思った純一さんは、家業は継がず奄美大島へ移住を決意する。さらには「寳(宝)園の『宝』は子宝のこと。だから『寳園』は子宝の園なんだ」という母から聞いた祖父の言葉に感銘を受け、寳園という名字まで受け継ぐことに。その後、奄美で木工の修業を積み独立。2年前、霧島にある祖父の家に拠点を移した。
印象に残る仕事が、ある時オーダーされた「リウマチを抱えるおばあちゃんが使うスプーン」。納品後、純一さんが作った持ちやすい形のスプーンのおかげで何でも食べられるようになったと、依頼主から喜びの電話がかかってきたという。「『困っていることをどうにかできたらお金になる』というのは、親父を見て教えられた。だから困っている人の悩みを解消できるものづくりができて、それで喜んでもらえたらむちゃくちゃうれしい」。そんな父から学んだ商売の心得と祖父から学んだものづくりの原点を胸に鹿児島へやってきた純一さん。名字を変えたのは軽い気持ちだったというが、時が経ち、自身も家庭を持って2児の父となった現在、「親になって分かることが増えた。じいちゃんが言ってた『寳園の宝は子宝』というのをまさに今、感じている」と語る。
亡くなってなお意識する大好きだった祖父の教えを胸に、ものづくりの道へ進んで12年。今は新たなアトリエ開業へ向けて邁進する息子へ、両親から届けられたのは「寳園」の実印。祖父の重治さんが商店で使っていたもので、亡くなる直前に母・裕子さんに託された形見の品だった。裕子さんからの手紙は息子へエールを送る内容で締めくくられていたが、実はもう1枚、本音を綴った手紙が…。純一さんは両親の想いに触れ、「これは有名にならないとあかんなと。『寳園』という名前をもっと世界に出していけるようになりたいし、その時にこの実印を使いたい」と決意を新たにしたのだった。