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#6188月15日(日) 10:25~放送
コスタリカ

 2009年、昆虫の宝庫・コスタリカで活動していた昆虫学者の西田賢司さん(当時37)。中学卒業と同時に単身渡米した賢司さんは、アメリカの大学で生物学を学び、12年前からはコスタリカの首都、サン・ホセで研究を続けている。地球上に生息するすべての昆虫のうち、現在発見されているのはたったの1割ほど。賢司さんは専門とする「蛾」を中心に、知られざる昆虫の生態を明らかにして、論文や写真で世界に発信している。山の上や深いジャングルに分け入り調査活動をする賢司さん。その姿は仲間から「探検昆虫学者」と呼ばれ、昆虫を見つける目の良さも群を抜いているという。こうして採集した昆虫は、標本にするだけでなく飼育してその生態を観察。1つの個体を調べるだけでも費やす時間は膨大だ。「自分の知識を増やし、世界の人とそれを分かち合うのが喜び。果てしのない世界です」とその魅力を語る賢司さんは、「遊ぶ時間は要らない。寝る時間も惜しい」と昼夜問わず研究に没頭する。
 幼い頃から虫取りに夢中だったという賢司さんが日本を離れたのは22年前。中学時代、受験のためだけの勉強に疑問を抱いた賢司さんはアメリカへの留学を決断。母はその決断を後押しするが、日本で堅実な人生を歩んでほしいと望む父は猛反対したという。「父は考えが型にはまった人。母は道がなければ切り開くタイプの人。僕は母親似です」。日本を離れてからは、父と言葉を交わすことはほとんどなかった。
 ある日、賢司さんがやってきたのはニカラグアとの国境近くにあるジャングル。アメリカ・スミソニアン博物館の依頼で、新種の蛾の調査を行うという。そして険しい洞窟を進むこと2時間、遂に暗闇の中で探し求めていた蛾を発見する。こうした賢司さんの研究は、生物学の世界で高い評価を受けていた。しかし、その姿を見ることなく父は3年前に他界。賢司さんの心には、かつて渡米を反対し自分を理解してくれなかった父に対するわだかまりが残ったままだった。そんな息子へ、母から届いたのは定年退職後に父が描きためた水彩画。ビワやあじさいなど自宅の庭にある植物を写生したものだが、その中に1枚、想像で描いた鯉のぼりの絵があった。これは亡き父が息子を思って描いた絵。母は、父がいつも賢司さんを思っていたことを伝えたかったのだ。「父は植物が好きだった。そこにはいつも昆虫がいた…」と忘れかけていた幼い頃の記憶が甦る賢司さん。"父がいたから今の自分がある"と確信し、思わず涙がこぼれた。
 あれから12年。ぐっさんとリモート中継をつないだ賢司さん(49)の姿は今、和歌山県の橋本にあった。コロナの影響によりしばらくは日本にいるそうで、年内にはコスタリカに戻る予定だと話す。以前の取材時、洞窟を調査して発見した蛾。実は後に新種ではなかったことが判明したという。とはいえ、賢司さんがこの12年の間に発見した新種は3000種にも上るといい、中には「ケンジカミキリ」「ニシダツノゼミ」と自身の名前を付けた昆虫も。また現在、滞在中の橋本でも昆虫採集を行う賢司さんは、「日本の夏は、コスタリカの熱帯以上に昆虫大国になっている」といい、実際に野外へ出て様々な虫の取り方を紹介。ぐっさんも次々と登場する珍しい昆虫に興奮し、「賢司さんと一緒に虫取りに行きたいです!」と身を乗り出す。