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#6147月11日(日) 10:25~放送
ボリビア

 2009年、南米ボリビアの首都ラ・パスで、フォルクローレのミュージシャンとして活躍していた秋元広行さん(当時32)。フォルクローレはボリビアを代表するアンデス諸国の民族音楽。広行さんは大学時代にフォルクローレに魅せられ、卒業後に単身本場へと渡った。以来10年、プロのミュージシャンとして活躍し、自身のバンド「アナタボリビア」ではボーカルとギター、曲作りを手がけている。バンドのメンバーは、30代のギター担当・ワルテルさんと、サンポーニャ、ケーナという管楽器を演奏する20代の若手2人。さらにパーカッションと弦楽器のチャランゴを担当する50歳を越えた2人の大ベテランと、年齢もキャリアもバラバラの6人。結成して4年、その実力を認められるようになってきたが、裏では葛藤も抱えていた。昔ながらのスタイルにこだわるベテラン勢に対し、広行さんは自分が思い描く新しいフォルクローレを作っていきたいと考えているのだ。ただその狭間でもがき苦しみながらも、「違う年代の人とやるのは良いところもある。考え方や感じ方が違うし、古典のフォルクローレを知る彼らのおかげで、新しいものがいいという流れの中でも本筋から外れない」と、このメンバーで活動することにこだわる。そして、アナタボリビアとして目指す夢は「ボリビアの代表として世界に出るグループになること」と力強く語る。
 10年前、親には「1年だけ行かせてください」と頼んで日本を飛び出した広行さん。父からは「人と同じことをやっていてもしょうがない」と言われて育ち、母は常々「子供は自分の思い通りにならん」と言っていたと振り返る。その言葉を胸に本場で奮闘する息子を、両親は何も言わず見守ってくれていた。実は父は心臓病を患っているため、標高4000メートルを超える高地のラ・パスには行くことができない。そこで両親に向けて、広行さんは「これが本当のボリビアのフォルクローレです。一緒に楽しんでください」と呼びかけ、街のライブハウスで行われるバンドのコンサートに臨んだ。開演時間は夜中の12時。会場に詰めかけたお客さんは広行さんの演奏に酔いしれ、夜通し踊り続けた。
 そんな息子へ、両親からの届け物は「秋元広行の成長記録」というタイトルが付いた1本のカセットテープ。そこには幼い頃の泣き声やおしゃべりが録音されていた。両親の愛情が詰まった時を越えた贈り物に感激した広行さんは、ボリビアに来ることができない父への想いを「Padre父よ」という歌にして届けたのだった。
 あれから12年。ラ・パスにいる広行さん(44)とぐっさんが中継をつなぐ。ボリビアは、他のラテンアメリカの国に比べると新型コロナの感染者は非常に少ないのだそう。それでも地元の人々は高地で酸素が薄い中でもマスクを着用し、助け合いながら生活している。実は2009年の取材後、現地での活躍を見た両親が「息子がお世話になった人たちに会いたい」とボリビアにやってきたという。まずは標高が低い地方で体を慣らし、さらに標高2000メートルほどの街に10日滞在。こうして元気に念願のラ・パスを訪ねることができた父は本当に喜び、なんとその3年後にも再訪を果たしたという。現在は結婚し、2人の息子もいる広行さん。自分が父親になって改めて12年前に父のために作った「Padre父よ」を聴くと、「なかなかいい歌を作ったなと思うようになった」と笑う。そんな広行さんにぐっさんは歌をリクエスト。ワルテルさんらバンドメンバーも駆けつけ、自作の曲「我がサンタクルス」を披露する。