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#6024月18日(日) 10:25~放送
栃木県

 今回の配達先は、栃木県大田原市。彫刻家として奮闘する西村大喜さん(34)へ、兵庫県で暮らす姉・ひか里さん(36)の想いを届ける。大喜さんが中学生のときに最愛の母が死去。そこから2歳年上のひか里さんと2人きりの生活をおくることになった。しかし大喜さんは母代わりだった姉に反発し、家の中はギスギスした状態に。「彼が芸術の道に進もうか悩んでいる時期が一番仲が悪かった」とひか里さん。弟に対しては「こだわりがあって一生懸命なのはわかるけど、どうやって生きていっているんだろうと…。未知の世界ですね」と心の内を明かす。
 栃木県の北東部に位置する大田原市は、日本の原風景が色濃く残るのどかな田舎町。その市街地から外れた里山の集落に、大喜さんは工房を構えている。これまで石の彫刻家として数々の賞を受賞してきたが、この町に来てからは大田原市の名産である「竹」を使った作品を手掛けるように。竹を切った輪っかのパーツを貼り合わせては削り、曲線を描くオブジェを造形する。竹から感じる生命の力を表現し、見た人が心躍るような作品作りを心掛けているという。ひとつの作品が完成するのに半年以上かかることもあるというが、「こうすればああなる、と想像したときのワクワクに勝てない。ワクワクが止まらない」と目を輝かせる。自宅には作品を展示販売するギャラリー「あとりえ あほうと」を併設。ギャラリーの名前は、「アホな人」、そして英語で「思想」という意味の「thought(ソート)」を組み合わせた造語だ。「アホ」という言葉を名前にした理由は、白血病により43歳という若さで亡くなった母・裕子さんの存在だった。  
 当時、小学校高学年だった大喜さんは母の闘病中、面白い絵や工作を作って持っていっては病室の母親を笑わしていた。「あんた、ほんまアホやなぁ」と笑顔の母親に言われることが何よりうれしかったという。裕子さんの死後、父親は単身赴任で離れ離れになり、そこから中学2年の大喜さんと高校1年のひか里さん、姉弟の2人暮らしが始まる。だが、多感な時期だった2人は衝突も多く、家族の関係は崩れていってしまった。その後、芸術大学の彫刻コースに進学した大喜さんは、卒業して彫刻界の巨匠・大成浩さんに師事。長い修業を経て独立し、3年前、亡き母の笑顔と言葉を胸に「あとりえ あほうと」を立ち上げたのだった。
 ある日、大喜さんは知人宅の裏山へ竹の間引きにやってきた。地域では高齢化が進み、放置竹林が社会問題に。そこで大喜さんは、自身が作る竹の彫刻で問題を少しでも解決できればと、間引きした竹を使った一輪挿しのインテリアを作るようになった。さらに、過疎化が進む集落に人を呼び込むため、空き家にアート作品を展示して地域交流の場を設けるプロジェクトもスタート。「みんなが集まる家」をコンセプトに、彫刻で家の象徴である「玄関」を制作した。周囲には家族の話を封印してきた大喜さんだったが、自ら築きあげてこれなかった「家族」を表現したいと考えている。
 「あんた、ほんまアホやなぁ」。そんな母の口癖だった言葉を胸に芸術の道へと進み、いまや世界中どこを探してもないアートを生み出すようになった大喜さん。家族の存在から背を向けた10代、20代を経て、家族の大切さに目を向けようとしている弟へ、たった2人の家族である姉の想いが届く。