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#5983月14日(日) 10:25~放送
沖縄県

 今回の配達先は、沖縄県。漆芸家として首里城修復に奮闘する森田哲也さん(43)へ、滋賀県で暮らす父・幸男さん(76)、母・ゑみ子さん(71)の想いを届ける。かつて哲也さんは地元で安定した仕事に就いていたが、「ある日突然『行きます』って言って…」と、家を出たときの状況を明かすゑみ子さん。幸男さんは「いつも何も相談せずに自分で決めて自分でやるから、特に気にしていなかった」と話すが、20年前に大病を患ったため沖縄まで会いにいくことは叶わないという。
 那覇市の小高い丘に建つ、沖縄のシンボル・首里城。漆で塗られた朱色が美しい城は、2019年10月に起こった火災で正殿など7棟が焼失した。哲也さんは2006年から首里城の修復事業に携わっていたが、火災により、焼失した建物を一から復元するという大仕事も手掛けることになった。現在進めているのは、新たに建て直す建造物の屋根や外壁の漆塗り。地元の漆芸家6人でチームを組んで作業を行っており、技術を見込まれた哲也さんはリーダーも任されている。漆とは、ウルシの木から採取した樹液からなる塗料。器から寺社仏閣まで幅広く使用されているが、天然素材ゆえに取り扱いが難しいのだという。「気温が20度を下回ると漆の乾燥具合が悪くなる。素材に合わせてあげないといけないので、漆のご機嫌を伺って仕事をしている」。塗りと乾燥、磨きを繰り返すことで強度や美しさが増す漆の工程は、実に28にも及ぶ。
 哲也さんは滋賀県生まれ。琵琶湖の浄化会社に勤務していた頃、たまたま訪れた旅行先で出会った漆作品に魅了され、地元の漆芸教室に通い始めた。そんなときに雑誌で見かけたのが、沖縄の漆作家・森長八重美さんの「リュウキュウコクタン」という木を使った作品。あまりの美しさに衝撃を受け、いてもたってもいられず沖縄へ飛んだという。そして会社を辞めることを決意し、27歳で沖縄に移住。森長さんの紹介で漆芸学校に入学して、アルバイトをしながら漆を学ぶ生活を始めた。ちょうど同じ時期、「首里城塗装修復業務プロジェクト」がスタート。哲也さんにも声が掛かり、以来首里城の修復に携わってきた。そんな中で火災が起こったのは、正殿の塗り直しを終えたわずか10か月後のこと。それまで12年かけて積み上げたものがたった4時間で失われてしまったのだった。当時は誰もが泣いていたという。だが今、哲也さんは「仕事のベースは首里城の現場で教えてもらった。また20年もすれば新しい建物も塗装が劣化してくる。だから60代になっても現場に入りたい」と前向きに語る。
 哲也さんが沖縄に来てから知り合った妻・敦子さんは木工作家。敦子さんが制作した器などに哲也さんが漆を塗って、二人三脚で作品を仕上げている。素材はできるだけ県産材を使い、沖縄にこだわった漆作品を作り出す哲也さんは昨年沖縄県工芸士にも認定され、今では県を代表する漆芸家として作品が販売されるまでになった。また自宅近くに新たな工房を構え、家具や壁材など住宅設備として漆を使ってもらおうという試みを後輩とともに始めた。現在、どん底状態にある沖縄の漆器業界を盛り上げ、若手育成につなげたいと考える哲也さん。一方で、20年前に脳梗塞を患い、体を思うように動かせなくなった父親のことが気がかりでもあった。
 沖縄に渡って17年。県を代表する漆芸家として作品を生み出しながら、首里城の再建という一大プロジェクトに携わり奮闘する息子へ、滋賀から父が届ける想いとは。