2015年、世界の音楽カルチャーの中心地であるアメリカ・ニューヨークで取材したジャズトランペット奏者の佐々木亮さん(当時38)。昼間は“ジャズの聖地”と呼ばれるウエストビレッジにほど近い公園でミュージシャン仲間とセッションを繰り広げ、夜は老舗の高級レストランなどで演奏。音楽一色の毎日をおくっていた。
亮さんがトランペットを始めたのは、15歳の時。反抗期に加えて複雑な家庭環境に悩んでいた頃、偶然テレビで著名なジャズトランぺッター、ウイントン・マルサリスの演奏を見て、「ジャズの即興演奏がとても自由に思えた」と強く惹かれた。4人家族の次男として幸せな家庭に育った亮さんだが、母が若くして死去。その後、再婚した父の新しい家族にうまく馴染めず、父との距離は広がるばかりだった。そんな状況の当時、家庭にも学校にも居場所がないと孤独を深めていた亮さんの唯一の逃げ場が、トランペット。高校は有数の進学校に進んだものの、ますますトランペットにのめり込んだ亮さんは、有名大学に進学してほしいという父の期待とは裏腹に音楽で生きて行くことを決意。アメリカに渡ってバークリー音楽院に入学した。日本を飛び出し9年。言葉を超えて通じ合える“ジャズ”という大きな家族の一員として生きる今、「幸せですよね。本物を体験して、毎日それを浴びて生きていけるというのがニューヨークの素晴らしいところ。何にも代えがたい体験」と充実した日々を過ごす。一方、少年時代に深まった父との溝は埋まらないままで、父がニューヨークを訪れた時もあえて会うのを避けてきたという。「音楽は自分が見つけたもの。そんな自分の居場所、お気に入りの場所に親父が土足で踏み込んでくることがすごく嫌だった。その気持ちは分かってもらえてないと思う」。そう語る彼の元へ父・孝さんから届けられたのは、亮さんがトランペットを始めた頃、家族の前で初めて演奏した映像のDVD。そして添えられた手紙には、妻亡き後、子どもたちに苦労を掛けたことを詫び、「亮がなぜジャズトランぺッターになったのか? 小生が与えた心労などが音楽に向かわせたのか。いつかその真相を聞きたい」と綴られていた。父からの初めての手紙に、「ずっと親父との関係は、母がいた時の“過去”のものだった。未来のことはわからないが、とりあえず僕と親父の“今”から始めたい」と涙を流した亮さん。その姿に孝さんも涙し、「息子との関係を修復したい。会いたくなりました」と最後には笑顔を見せたのだった。
あれから6年。ニューヨーク・ブルックリンの自宅にいる亮さんとぐっさんをリモート中継でつなぐ。現在、新型コロナウイルスの影響により「ニューヨークはひどい状態で、仕事は本当にない」と話す亮さん。屋内の飲食が禁止されている今、出演していたレストランやジャズクラブなどは軒並み閉鎖。公園など屋外では演奏を披露していたが、寒い冬の今は何もできない状況だという。 父・孝さんとは6年前の手紙をきっかけに再会を果たしたといい、1週間ほどニューヨークに滞在した父と話すうちに距離を縮め、また自分を見直すきっかけにもなったと振り返る。そしてコロナ禍にあってもニューヨークで活動を続ける理由を問うぐっさんに、亮さんは「大変だけど、ひとつの機会だと思っている」と前向きな心境を明かす。