今回の配達先は、岐阜県。美濃市で手漉(す)き和紙職人として奮闘する寺田幸代さん(40)へ、神奈川県横浜市で暮らす父・良治さん(73)の想いを届ける。
清流・長良川に育まれてきた町で作られる「美濃和紙」は1300年以上の歴史を誇る日本最古の紙といわれ、福井県の「越前和紙」、高知県の「土佐和紙」と並ぶ日本三大和紙のひとつ。中でも、厳選した素材で手漉きされる「本美濃紙」の技術はユネスコの無形文化遺産に登録され、世界中から注目を集めている。幸代さんは市街地から外れた里山の集落・蕨生地区に自宅兼工房を構え、特注の設備を使って和紙を制作する。原料は、最高級の手漉き和紙を作る材料として知られる「楮(こうぞ)」という木の皮の繊維。下準備した原料と植物から抽出した「ねべし」という粘液、さらに水を混ぜ合わせて、「簀桁(すけた)」と呼ばれる道具で紙を漉く。この簀桁全体を揺り動かしながら紙の層を作っていく「流し漉き」は日本独特の技法。加えて美濃和紙は簀桁を横に揺らすことが大きな特徴で、この独特の動きによって薄くても丈夫な紙に仕上がるという。重労働なうえ、縦と横に揺らす回数によって紙の厚さや質が変わってくる流し漉き。長時間の集中力と熟練の技が必要となる。
幸代さんは23歳で父親が経営するガラス加工会社で見習いとして働き始めた。いつかは父のような職人になりたいと思っていたが、両親が離婚。父との関係もぎくしゃくし始め、わずか2年で退職して実家も出て行ってしまう。その後はフリーター生活をおくっていたものの、30歳になった時に本当にやりたい仕事をしたい、日本の伝統を引き継ぐことがしたいと考えるように。そこで思い至ったのが、小学生の頃からジグソーパズルに熱中したり便箋を集めたりするほど大好きだった「紙」。全国の紙漉きの産地をまわった幸代さんは、美濃の美しい風景と古い伝統文化に魅了され32歳の時にこの地に移住した。師匠は紙漉き歴76年で今も現役の澤村正さん(91)。国の重要無形文化財にも認定される日本を代表する紙漉き職人だ。厳しい世界に飛び込んだ幸代さんは、町でアルバイトをしながら師匠の下で6年間修行。そして「テラダ和紙工房」を立ち上げたのだった。今回制作したのは、楮の繊維を雲のように散りばめた「雲龍和紙」。多岐にわたる10以上ものプロセスを経て、温かな風合いが調和した高級感ある和紙が完成した。そんな幸代さんの紙は美濃和紙の専門店で販売され、アーティストをはじめ提灯や和傘を作る幅広いジャンルの職人が購入していくという。また和紙になじみがない若い世代にも使ってもらえるよう、自身でも和紙を加工したアクセサリーやクッション、バッグなど暮らしに寄り添う身近な雑貨を作って販売する。「美濃を盛り上げることで、紙を盛り上げたい。そして技術の伝承をしていくことが目的」という幸代さん。ガラス職人の父親とは、家を出てからは互いに連絡を取り合うこともなくなった。だが「『子どもは親の背中を見て育つ』というけど、まさにその通りだと思う。父の仕事の愚痴を聞いたことがないし、一緒に働いていた時も楽しそうにしていた。それがいまだに私の中に根付いているのかな」と父からの影響を明かす。そんな幸代さんの話に、「初めて聞いたのでうれしい」と笑顔になる父・良治さん。娘の小さい頃を「一途で、何かを思うとずっと行っちゃう方だった」と振り返る。
父の元を離れ、和紙の里で見つけた新しい人生。1300年の歴史と伝統を未来へ繋げようと紙を漉き続ける娘へ、同じ職人である父が届ける想いとは。