古くから人形劇が伝統芸能として受け継がれ、街には多くのマリオネット専門店や人形劇専用劇場があるなど、日常的に人形劇が楽しまれているチェコ。林由未さん(当時35)はこの地で人形劇舞台美術家として活動。まるで生きているかのように豊かな表情を見せる彼女の人形はチェコの子ども達の心をとらえ、数多くの人形劇で使われている。2014年の取材時は、首都・プラハにある自宅兼工房で1か月後に迫った人形劇「金髪のお姫様」の公演に向けた人形製作の真っ最中だった。使用する10体の人形を、由未さんがたった1人で製作。20本以上の彫刻刀を駆使して木を彫り進める。人形作りで一番大切なのが、顔。照明の当て方一つで様々な表情を作り出す人形劇では顔の立体感の付け方に一番気を遣うといい、製作で最も集中する瞬間でもある。ある日、レッスンスタジオを訪問。そこでは由未さんが製作した人形を使った劇のリハーサルが行われていた。チェコの人形劇では人形と役者が共演する事も珍しくなく、今回上演するチェコに古くから伝わる物語では、主人公が悪者に手足をもがれ目をくり抜かれるシーンがあり、由未さんは人形にさまざまなカラクリを盛り込んだ。こういった演出家の意図を再現するアイデアも周囲から高く評価されている。
由未さんを幼い頃から可愛がってくれた亡き祖父は、独学でマリオネットやハンドパペットを作り、よく遊んでくれた。そんな祖父の影響を大きく受けた由未さんは東京造形大学、東京藝術大学大学院で人形作りを学んだ後、本場の技術を身に付けたいとチェコへの留学を決意。その時、心配する両親を説得してくれたのも祖父だった。日本で人形作家を始めた頃は全く売れず、挫折しそうになったことも。チェコに来て7年が経ち、ようやく生活も安定。今では人形製作だけでなく、舞台美術の監督も務め小道具作りまで行う。さらに最近では、自身の人形ブランドも立ち上げた。由未さんの人形たちを祖父に見てもらうことは叶わなかったが、「人形で子ども達を喜ばせたい」との思いで休む間もなく仕事に打ち込んでいる。そんな由未さんに日本の両親から届けられたのは、祖父が手作りした獅子頭。由未さんは「祖父が作っているのを見て、自分もこういうのを作れたらいいなと思っていた」と懐かしみ、「祖父への思いは強い。今も見守ってくれていると信じている」と、涙を流した。
あれから7年。プラハの工房にいる由未さんとぐっさんをリモート中継でつなぐ。ヨーロッパの中でもチェコは新型コロナウイルスの影響が大きく、今も劇場は全部閉まっている状態だという。人形劇の世界は厳しい状況が続くが、由未さん自身はチェコだけにとどまらず世界を股にかけて活動を開始。日本でも大きな仕事を任されていた。2019年と2020年、大阪でもひときわ人通りが多い梅田の阪急百貨店にある巨大なショーウインドーで、「くるみ割り人形」をテーマにしたクリスマスディスプレイを製作。7面に及ぶディスプレイのイメージも由未さんが考え、2年間で作った人形の数は150体にも及んだ。これにより日本で作品を発表する場が増え、今では実家がある神奈川の横浜にも工房を設けてチェコと日本を行き来しているそう。一方でドイツやアメリカなど、世界各国からの仕事の依頼も相次ぎ、自宅のあるプラハにも新たな工房を設けるなど大きな飛躍を遂げていたのだった。