2013年、アメリカ・オレゴン州で旅客機のパイロットとして活躍していた青木美和さん(当時36)。アラスカ航空の傘下にあるホライゾン航空に勤務。ホライゾン航空はシアトルを中心に、カナダやメキシコまで定期便を運行する航空会社。ポートランド国際空港を拠点に各地へ飛ぶ美和さんはこれまでにも数え切れないほどのフライトを経験してきたが、「毎日コックピットに座って“これが私のオフィスなんだ”と思うと感無量。18年飛んでいるがまったく飽きない」と、空への憧れはずっと変わらないという。自宅は空港から車で10分、のどかな農場が広がるメドフォードにある大きな一軒家。恋人であるパイロットの竜太郎さんを含め、同じ会社のパイロット仲間5人でシェアハウスしている。とはいえ、全員の休みが重なることはほぼないため5人が揃うことはめったにないのだそう。
パイロットに憧れを抱くようになったきっかけは、初孫だった彼女を誰よりも可愛がってくれた母方の祖父。ゼロ戦の模型を見せて「おじいちゃんはパイロットになりたかったんだよ」と話してくれた祖父の影響で、小さい頃から自身もパイロットになる夢を描くようになった。しかし、当時日本は“パイロットは男の仕事”という時代。そこで高校卒業と同時に、女性パイロットが珍しくなかったアメリカへ渡る決意をする。英語が全く話せなかったため語学学校で学ぶことから始め、努力を重ねて大学のパイロット学科を卒業。念願の免許を取得する。だが、彼女を応援し送り出してくれた祖父にパイロット姿を見せることは叶わなかった。
とある日は、4本のフライトを担当することになった美和さん。まずはシアトルへ向けて出発するも、現地付近で予想以上に厚い雲に遭遇する。大きく気流が乱れるが、そこは18年のキャリアで、プロペラの出力を調節しながらこともなげにランディング。そしてお客さんを入れ替えると、すぐさま次のフライトへ。4時間で3つのフライトをこなしてようやくポートランドの空港へ戻ると、ゆっくり休む間もなく次に向けて簡単に食事を済ませる。慌ただしくも充実したパイロット生活。しかし、美和さんにはいまだ果たせないパイロットとしての大きな夢があった。「私の好きな機体、ボーイング777に乗って、できたらアジア方面に飛ぶのが夢。週に1回ぐらい飛んで、日本の両親に会えたら本当に幸せ」。そう語る娘へ、両親から届けられたのは祖父が大切にしていたゼロ戦の模型。これを手に大空への憧れを語っていた祖父を思い返し、美和さんは「本当にこれが私の原点です」と涙を流した。
あれから7年。オレゴンの自宅にいる美和さんとぐっさんをリモート中継でつなぐ。取材から1年後、恋人の竜太郎さんと結婚。2人の子どもに恵まれ、育児に奮闘していた美和さん。1年前からは本格的にパイロットに復職し、現在は大手企業や個人が所有するプライベートジェット機の専属パイロットとして活動しているという。竜太郎さんも大手航空会社のデルタ航空に転職したが、現在2人が働く航空業界は新型コロナウイルスの影響を大きく受け仕事が激減。でもこういう時だからこそ逆に家族の時間を過ごすことができるとプラスにとらえていると話す。そして、かつて抱いていた美和さんの夢はどうなったのか?さらにこれからについて、ぐっさんに思いを語る。