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#58411月22日(日) 10:25~放送
長崎県・壱岐島

 今回の配達先は、長崎県。玄界灘に浮かぶ壱岐島で塩職人として奮闘する名取寛人さん(51)へ、埼玉県で暮らす母・和子さん(81)の想いを届ける。
 九州本土と対馬の間に位置する壱岐島は、「魏志倭人伝」にも登場する歴史深い島。近年は、150以上もの神社があることから日本屈指のパワースポットとしても注目されている。そんな“神々の宿る島”の港の一角にある建物で塩作りをしている寛人さん。夏場は室温60度を超えるという塩小屋で毎日1人、海水をひたすら炊いて煮詰めていくという地道で過酷な作業をしている。4キロの塩を作るのに丸3日。最終日の終盤に塩を取り出すタイミングが味を左右するのだという。塩職人になって1年、それまでは東京でプロのバレエダンサーとして活動していた異色の経歴の持ち主だ。塩作りの師匠はおらず、基礎だけをYouTubeで覚え、試行錯誤を重ねてきた。そんな寛人さんが作るミネラルが豊富な塩はクチコミで人気を呼び、ネットで販売すると即完売。一般的なものに比べるとかなり高額なのだが、「当たり前に塩がこれぐらいの価値になればいいなと思う。塩職人もそれぐらいはやっているし、嫌われてでも遠慮せず言う人がいないと業界の価値が上がらない」と思いを語る。
 塩と向き合う姿はどこから見ても“島の男”だが、実は寛人さんは元女性。母子家庭のもと女の子として生まれるも、幼い頃から心は男だった。女の子らしいことが大嫌いで、高校卒業後実家の埼玉を飛び出し上京。男装ができる夜の店でアルバイトを始める。ホルモン注射で体も徐々に変化し、やがて夜の世界でトップに上り詰めた寛人さんは、さらなる高みを求め28歳のとき単身ニューヨークへバレエ留学。わずか2年で、男性だけのバレエ団として世界的名声を誇る「トロカデロ・デ・モンテカルロ」に日本人初のダンサーとして入団を果たす。その後アメリカで性転換手術を受け、日本に帰国。40歳で立ち上げたバレエ団「ヒロトズショー」で舞台を創作し、自らも踊り続けた。そして10年かけニューヨーク公演が実現したことで燃え尽きたと感じたという。周りに気配りしながら踊り続けるのも嫌になり、ボロボロの状態でふらりとやってきたのが壱岐島。その日のうちに移住を決め、ゼロから塩作りを始めた。最近では「今できることを全部打ち出そうと思った」と、週1回リモートでのバレエレッスンもスタートした。手伝ってくれているのは、東京で離れて暮らす妻。かつてはケンカばかりだったというが、「この距離感が自分と向き合ういいきっかけになった」と笑う。一方、親子の間では「男性になる」という話は一切したことがなく、母・和子さん(81)も「実家に帰ってくるたびに変わっていくことが、あんまりはっきり言えなかった」という。だが、「長年苦しんでいたのは知っていたので、いいんじゃないかなと思います」と彼の生き方を受け入れている。
 バレエダンサーとして世界中を巡り、踊り疲れて流れ着いた壱岐島。50歳にして新たな世界に踏み出し、「人生はまだまだこれから」と毎日を精一杯生きる寛人さんへ、母の想いが届く。