2011年、ベルギーでプロのジェットスキーライダーとして活躍していた倉橋優樹さん(当時31)。取材時は、間もなく始まるヨーロッパ選手権の決勝に向け、排気量750cc、スピードは100キロ以上出る特別仕様のマシンを最終調整している真っ最中だった。首都・ブリュッセル郊外にある自宅兼所属チームのガレージには、メカニックやサポーターなど10人のチームメンバーの姿が。その中の1人、チーム監督兼オーナーのベンジャマンさんは優樹さんの婚約者でもあった。
父はプロジェットスキーライダー、母はそのサポーターという環境で育った優樹さん。高校生の頃、本格的にジェットスキーを始めると瞬く間に頭角をあらわし、18歳で最年少の全日本チャンピオンに。2007年からは海外レースに参戦し、アジアやヨーロッパの大会で何度も優勝。だが、世界大会では2位が最高だった。そんな彼女が心に誓っていたのは、世界チャンピオンという目標をクリアしない限りは結婚しないということ。父からも「チャンピオンをとらないと結婚させない」と言われていると明かす。
今回のヨーロッパ選手権の最終戦は、地元ベルギーでの開催。優樹さんが出場するのは女性ライダーのナンバー1を決めるプロクラスで、世界大会の出場権がかかる大事なレースだ。ジェットスキーのレースで最も大切なのがスタート。スタート直後、トップで第1コーナーに入る「ホールショット」を決めることが最も優勝への近道といわれる。かつてはそこで出遅れていたのだが、今は「ベンジャマンさんとなら95%はホールショットをとれる」と言い切る。そんな信頼を寄せるパートナーと出会ったのは4年前。ベンジャマンさんが優樹さんの才能に惚れ込み、自然と交際が始まった。そして世界で戦うためにも一緒にベルギーで暮らしたいと、日本の両親に決意を伝える。ベンジャマンさんのことを気に入った母は大賛成してくれていたが、ベルギーに旅立つ直前、交通事故で突然帰らぬ人に。失意の中、優樹さんは父が心臓の病気を抱えていたことからもベルギーに行くべきか悩む。しかし、娘の夢を応援する父はむしろ「早くヨーロッパに行く準備をしろ」と背中を押してくれたのだった。
優樹さんはヨーロッパ選手権の最終戦で逆転優勝をおさめ、世界大会への出場権を獲得。でもこれはまだ世界チャンピオンへの通過点に過ぎない。そんな優樹さんの元へ、父から届けられたのはウェディングドレス。母が亡くなる前に夫婦で選んだもので、父の手紙にはドレスに込められた想いが綴られていた。優樹さんは、面と向かっては言われたことがない言葉に号泣。「世界チャンピオンをとって、お父さんに認めてもらえる結婚をする」と誓ったのだった。
あれから9年。ベルギーにいる優樹さんとぐっさんをリモート中継でつなぎ、その後の話を聞く。取材から半年後、レースで訪れたアメリカで突然ベンジャマンさんから結婚を提案された優樹さん。婚姻届を出すために市役所へ行くと、さらには式まで用意されているというサプライズが。父も参加し、届け物のウェディングドレスを着て結婚式を挙げたという。その翌年、ついに世界チャンピオンを獲得。世界大会を連覇するなど記録を重ねる。2013年には娘も生まれ公私ともに幸せな毎日を過ごす優樹さんだが、実はこの間、プロ選手として競技を続けるか悩むある出来事があった。