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#58010月25日(日) 10:25~放送
鹿児島県・奄美大島

 今回の配達先は、鹿児島県。奄美大島で染色家として奮闘する井村聡子さん(43)へ、京都府亀岡市に住む母・トキさん(71)、姉・明喜さん(48)の想いを届ける。聡子さんは京都にいた頃から染色をしていたわけではないそうで、トキさんは「なんで奄美に行って染めをしたのか、わからないんです」と困惑。明喜さんも「私も聞いていない。親にもまったく相談なく、いつも何も言わずに行動に移すので…」と苦笑する。
 九州と沖縄のほぼ中間に位置する奄美大島は“東洋のガラパゴス”とも称される、独自の生態系が息づく自然豊かな島。聡子さんは、山あいの小さな集落にある奄美の伝統工芸「大島紬」の染色工場(こうば)・金井工芸で働いて17年になる。染料の原料となるのは、「テーチ」と呼ばれる木。テーチ木を細かく砕き、3日間煮出して作った赤い染料に染めたいものを漬け、色が入るように揉み込む。次に工場の隣にある泥田に移動し、赤く染めたものを泥に浸す。こうして赤色の成分と泥に含まれる鉄分を化学反応させて、グレーや黒に染め上げていく。1300年前から変わらないこの方法は、奄美大島特有の土壌を利用した世界でもここでしかできない技術。しかし、非常に手間がかかることから、以前は70軒近くあった工場も今は4軒しか残っていない。工場では、大島紬だけでなく現代的な洋服も伝統技法を用いて染め、その技術を頼って国内外のアパレルメーカーからも発注が舞い込む。担当した商品は最後まで1人で染め上げるのが基本。さらに天然の染料はその時々によって状態が違うため、染料の配分は自分の感覚だけが頼り。何度も同じ工程を繰り返して、発注元が指定した色に近づけていく。濃い色にするには10日以上かかることもあり、女性にとっては大変な作業も多いが、「染める回数や泥の有無によって、様々な色が作れるのが魅力」だと聡子さんは言う。
 今の仕事を始めたきっかけは、工場の二代目からアルバイトに誘われたこと。それが今では自分の天職だと感じるほどのめり込んでいる。17年前に奄美大島へ渡るまでは定職にも就かず、アジアを旅するなど自由な放浪生活を送っていた聡子さん。実家はお寺で、住職として多忙な父に代わって4人きょうだいの子育てを一手に引き受けていた母はとても厳しかったという。逆らえないからこそ、いつしか母には自分の思いや考えを話さなくなったといい、奄美大島に来たことも、結婚し子どもが産まれたことも事後報告だった。現在は島で出会ったネイチャーガイドの夫と、中学2年生の娘、6歳の息子とともに海からすぐそばの家で暮らしている。聡子さんが目指している家族像は、「何でも話せる家族」。素直になれなかったかつての自分への後悔が、今の子育ての基本になっているという。
 好き勝手に放浪を続ける生活から一変。17年前に軽い気持ちで渡ったこの地にとどまり、地道に職人の道を歩む聡子さん。ものを染める魅力にのめり込み、家族というかけがえのない存在を手に入れて大きく変化した娘へ、母の想いが届く。