1年前、世界ランキング1位のホッケー大国・オランダで日本人初のプロホッケー選手として奮闘していた及川栞さん(当時30)。ホッケー一部リーグで毎年優勝争いに食い込む強豪チーム「オランイェ・ロート」に所属し、オランダ代表選手も在籍する中、ディフェンダーとして守備の要を担っていた。オリンピックの正式種目であるホッケーは1チーム11人で戦い、スティックで打った硬いボールのスピードは時速150キロにも。骨折も当たり前の激しい競技だが、「スタミナには自信がある」と言い切る栞さんは、監督からも「1対1の時は闘争心むき出しでパスカットも上手い。パスの正確さも際立っている」と高い評価を受けている。
かつてホッケーの日本代表として活躍した母・美代子さんの影響で、幼い頃からホッケーに打ち込んだ栞さん。自身も日本代表に上り詰めるが、2016年のリオ五輪では最終選考で代表メンバーから落選する。最終目標としてオリンピックにすべてを懸けていた栞さんは4年後を目指す気になれず、これからは楽しんでホッケーに向き合おうとオランダへ。しかしそこで目の当たりにしたのは、世界ランキング1位の厳しさだった。高いレベルでプレーする選手たちの姿に「軽い気持ちでただリーグを楽しんでいるっていうのはすごく申し訳ないと思ったし、甘ったれたことを言っていてはダメだ」と再び奮起し、東京オリンピックでの金メダル獲得を目標に据え戦うように。オランダに来て、「予測とか周りを見る力はついたかな」と成長を感じる栞さんは、2018年には日本代表に復帰してアジア大会に出場。見事金メダルを獲得し、アジア最優秀選手にも選ばれた。日々ともに戦うオランダのチームメイトとは、「東京オリンピックの決勝は、日本対オランダね」と約束する。リオオリンピックのどん底から這い上がり、再び夢へと前進する娘への届け物はゴールドに誕生石をあしらったネックレス。お守り代わりに付けていてほしいという母の願いが込められていた。
あれから1年。ぐっさんが、埼玉県にある駿河台大学のホッケー場で練習する栞さんの元を訪ねる。昨年、日本に帰国。現在は、東京ヴェルディホッケーチームで副キャプテンを務めている。東京五輪までの残り1年は代表の合宿にすべて参加し、日本代表として悔いなくみんなとピッチに立ちたいという思いがあった栞さん。しかし、がむしゃらに目標へ向かっていた中、新型コロナウィルスの影響によりオリンピック開催が延期に。一報を聞いたときは「まったく言葉が出なくて、真っ白になった」と振り返る。しばらくは岩手の実家に戻っていたが、あえて何も聞いてこない両親に助けられたといい、改めてオリンピックは自分だけの目標ではなくいろんな人の夢なんだと確信。「みんなのサポートがあるから、私はできる。絶対やるしかない」と気持ちが定まるやいなや、2~3週間後には走り出していたと明かす。ここから1年、どこまでいけるのかワクワク感でいっぱいだという栞さん。彼女の首元には、両親からの届け物のネックレスが輝いていた。