過去の放送

#5718月16日(日) 14:56~放送
韓国

 8年前、韓国に留学しプロのテニスプレーヤーを目指していた高校生の中村錬さん(当時17)。ソウルと釜山のちょうど中程に位置する金泉(キムチョン)市の「JSMテニスアカデミー」で練習に打ち込んでいた。プロのテニス選手を養成する韓国屈指の施設は、屋内コート4面、屋外コート20面にトレーニングルームを備え、所属する選手は12才から22才までおよそ20人。このアカデミーを選んだのは、アメリカなどと変わらない充実した施設ながら費用が安いこと、そして何よりハードなトレーニング内容に惹かれたからだという。現地の高校にも通っているが、スポーツコースに所属しているため朝8時から夕方6時までみっちりテニス漬け。加えて、母とは日本の高校を卒業する約束で留学したので、日本の通信制高校の勉強も続けている。
 中学時代はテニス部のキャプテンとして強豪校のチームを率い、ダブルス・団体共に中学生日本一の二冠を達成。学校は中高大一貫の私立校だったが、中学卒業後はプロを目指して韓国のテニスアカデミーに入学した。高校でも一緒に頑張っていくと思っていた仲間に申し訳ないと思いながらも、敢えて一人で進む険しい道を選んだ錬さん。とはいえ一時は練習がうまくいかず、さらに慣れない環境や言葉の壁に悩み、精神的に追い詰められ帰国したこともあった。そのつらい時期を救ってくれたのが、中学時代、テニス部の副キャプテンでもあった親友の博貴さん。「成功できるのは一握り。でもお前は成功できると思う」との言葉に再びラケットを握った錬さんは、もがきながらも「テニスの4大大会であるグランドスラムで活躍する」という夢に向かって突き進んでいた。そんな息子へ、日本の両親が届けたのはテニス部の仲間たちの寄せ書き。そこには錬さんからテニス部のキャプテンを引き継いだ博貴さんのメッセージも。一番の親友であり、一番のライバルからの励ましに涙した錬さんは、「支えてくれる人たちに感謝できるよう、これからも頑張っていきたい」と誓った。
 あれから8年。25歳になった錬さんは今、兵庫県の三木市にいた。テニスコートで練習する錬さんの元をぐっさんが訪ね、これまでのこと、現在の思いを聞く。2年間の韓国留学の後、アメリカに渡ってさらに腕を磨き18歳でプロテストに合格。3年前からは、日本を拠点に世界を飛び回る生活をおくっている。念願のプロになったもののその世界は厳しく、現在のランキングは1000位あたり。「基本的に賞金で食べていくのは難しい。下部ツアーに出て、勝ってトップツアーに上がっていく。その過程が一番苦しい」と明かす。決して楽ではない状況だが、「テニスはめちゃめちゃ楽しい。常に真剣だからこその楽しみ方ができていると思う」と笑顔の錬さん。そしてぐっさんに、「テニスを始めたときから、個人の目標はグランドスラムに出ること。今、30代でも活躍できる選手が多いので、僕も28、29歳のときにはそういう舞台で戦っていけるよう、この3年は死に物狂いで頑張りたい」と力強く語るのだった。