今から1年前、トロンボーン奏者の菊池ハルカさん(当時32)はアメリカ・ニューオーリンズで5つのバンドを掛け持ちし、多忙な日々をおくっていた。20世紀初頭にジャズが発祥した地として、世界中から音楽好きが集まるニューオーリンズ。特にフレンチクオーターと呼ばれるエリアにはおよそ50軒ものライブハウスがひしめき、365日休むことなくライブ演奏が行われている。夜の8時、ハルカさんが参加するバンドのライブがスタート。10時に終了すると、1時間後に始まる次のステージまでの合間に、車で5分の場所にある自宅に戻ってきた。実はハルカさんは2か月前に第一子の咲太くんを出産したばかり。ジャズピアニストの夫・佳孝さんもほぼ毎晩ライブがあるため、夫の帰宅が遅いときは友人のベビーシッターに咲太くんを預けて仕事に出ているのだ。赤ちゃんに対して申し訳ない気持ちがあり、仕事に行くことに迷いもあるというハルカさん。しかし、仕事を休むとここまで築いてきた信頼がくずれてしまうという不安を抱き、出産後も休むことなくライブ活動に復帰していた。
音楽活動のスタートは、4歳の時に母の勧めで始めたピアノ。小学校になり、トランペットが吹きたいと金管楽器クラブに入部するも、人手が足りなかったトロンボーンの担当に回されてしまう。こうして不本意ながら始めた楽器だったが、高校でジャズを演奏する先輩に出会ったことから魅力に目覚め、東京藝術大学の音楽学部に進学。卒業後プロとして活動を重ねるうちに、次第にジャズの聖地・ニューオーリンズで演奏したい気持ちが抑えきれなくなり、26歳で海を渡った。決まった演奏先もなく、ただ好きだという思いだけでやってきたハルカさんは、連日ライブハウスを訪れては、「演奏させてほしい」と交渉。飛び入りで出演して実力をアピールし、自らの音で道を切り拓いてきた。
「いつもお客さんを楽しませるようなかっこいいトロンボーンを吹きたい」とこだわりを持ち、どんなジャンルにでも対応できるのがハルカさんの強み。そんな中、参加するバンドの一つ「チャーワー」のアルバムが、世界最大の音楽の祭典・グラミー賞にノミネートされた。賞本番に向けて、日々のスケジュールはよりハードになり、ある日の帰宅は深夜3時に。今の状況にハルカさんは「ステージ上で演奏する私を見ているお客さんやメンバーにとっては、私が“お母さんだから”っていうのは関係ない。バランスを上手に取りたいなと思っているけど、どうしても“お母さん業”が初心者なので、ちょっと悩みながら一緒に頑張っているという感じ」と本音を漏らす。その姿を見て「今はまだ気が張っている感じがする。体調を崩さなければいいけれど…」と心配する母のゆみ子さん。育児と音楽活動、どちらも大切だからこそ両立に悩むハルカさんへ、ゆみ子さんは彼女が子どもの頃お気に入りだった手編みのセーターと励ましのメッセージを届けた。
あれから1年。グラミー賞は残念ながら受賞とはならなかったが、この1年でハルカさんはジャズミュージシャンとして大きく飛躍。“ジャズの殿堂”と呼ばれ世界のジャズミュージシャンが憧れるライブハウス「プリザベーションホール」のレギュラー出演を果たした。しかし、現在は新型コロナウイルスの影響によりニューオーリンズのライブハウスはすべて休業中。そこで夫の佳孝さんとともに自宅から演奏をライブ配信するなど、ステージ復帰の日に向けて活動を続けている。また当時2か月だった咲太くんも大きくなり、母の届け物だったセーターが着られるように。なんと昨年の夏に行ったバンドのヨーロッパツアーには咲太くんも同行したといい、そのライブの様子をリモート中継でぐっさんに報告。さらに佳孝さんも参加して、ハルカさん夫妻とぐっさんが海を越えてセッションを繰り広げる。