2016年、極寒のアメリカで彫刻家として奮闘していた吉野美奈子さん(当時48)。ニューヨークの街から車で3時間、湖と木々に囲まれた自然豊かなペンシルバニア州で制作に打ち込んでいた。普段はニューヨークで暮らしているが、彼女の作品に惚れ込んだ石材会社の社長による支援で、会社の一角を作業場として間借り。社員もアシスタントを務めてくれているのだ。現在は、ニューヨークを流れるハドソン川の“主”であるチョウザメをモチーフにした巨大な作品を彫っている。大勢の人の協力を受けながら、およそ18トンもの巨石と格闘して既に半年。完成のタイミングは石が教えてくれるのだという。「石に“もう美奈子、じゅうぶん”と言われるまでやる。ありがとうと言われる瞬間があって」。このチョウザメは99%まで完成しているそうで、「もう、早く外に行きたいみたい」と笑う。
日本にいる頃は旅行会社に勤めるごく普通の会社員だった。厳しい両親の元でやりたいことを我慢して育ったが、25歳の時、芸術への思いが抑えきれなくなり武蔵野美術大学に入学する。働きながら6年かけて卒業した後に仕事を辞め、2001年に単身ニューヨークへ美術留学。当時の専攻は絵画だったが、あるとき「建設現場でたくさんの大理石がゴミ箱に捨てられているのを見つけた。それが可哀そうで…。石に“助けて美奈子”と言われていると思った」。そこで大理石の引き取り先を懸命に探したが見つからず、結局自分でその大理石を彫ることに。すると、初めて彫ったその作品が、彫刻協会の新人賞を受賞。すぐに買い手も現れたという。そんな不思議な巡り合わせをきっかけに彫刻家の道へと進み、これまで数々の賞を受賞。ハドソン川のほとりにも大きな人魚の野外彫刻が展示されている。
勇気を持って芸術への一歩を踏み出して以来、自らの信じる道を突き進む彼女に届けられたのは、母・フミ子さんが編んだレッグウォーマー。「寒い土地での彫刻制作。身体を冷やさないように頑張ってほしい」という想いが込められていた。美奈子さんは「親にはこれでOKをもらった気がします。両親は孫の顔を見たかったと思いますが、私の子供は彫刻。これからも思う存分作品作りに取り組んで、たくさんの“孫”たちを地球にいっぱい作ります」。それを受け、父の正夫さんは「納得のいくまでやってください。でもいずれは帰ってきてください」とメッセージを送ったのだった。
あれから4年。美奈子さん(53)の姿は富山の実家にあった。実は前回の取材の翌年から故郷・富山の中学、高校で「夢を持つ大切さ」「夢に向かって一歩踏み出すことの大切さ」を伝える講演を行ってきた美奈子さん。講演をするたびに、ニューヨークには学生たちが今の夢や講演を聞いて感じたことをつづった手紙が届いた。その5000通以上にもなる若者とのやりとりが、やがて県内で話題に。それをきっかけに、美奈子さんの元へ富山駅前の新しいシンボルとなる野外彫刻の制作依頼が舞い込んだのだった。故郷に最高の作品を届けるために向かったのはイタリア。大理石の世界的産地・カッラーラで石選びから始めた。突然やってきたイタリア語の話せない日本人が作業場所と職人を探し出し、たった半年で彫刻を仕上げるというのは簡単なことではなかったが、彼女の情熱と行動力が多くの人たちを突き動かし、「LOVERS 恋人たち」と名付けられた大きなモニュメントが完成。そして美奈子さんはこの作品の仕上げとして、あることを計画していた…。
夢を諦めず、25歳から大学に入り直したあの日から28年。故郷でモニュメントの除幕式の日を迎えた美奈子さんが、作品に込めた想い、さらにこれからについて語る。