2018年に取材したアメリカ・ニューヨーク在住の書画家・田中太山さん(42)。今から5年前に渡米し、墨と筆を使って文字を絵のように描く「笑文字(えもじ)」というアートを制作していた。太山さんが試行錯誤の末に生み出したこのアートには「悲しいことや辛いことは放っておいてもやって来る。でも楽しいことは、自分が“落ちた”時に誰かがよいしょと持ち上げてくれないといけない。その持ち上げる役目ができたら」という強い思いが詰まっている。作品に共通するテーマは「笑顔」。「毎日笑っていればいいことがある」という子どもの頃からの母の教えが太山さんの根幹となり、今の作風に繋がっているのだという。
実は太山さんは書道も絵も習ったことはなく、すべてが我流。漫画家に憧れていたこともあったが、高校卒業後は料理の道へと進んだ。そこで店のメニューやイラストを描いていたところを常連客に褒められ、思い切って転身。21歳でプロを目指して、似顔絵を描きながら日本全国を放浪した。手探りの中、黒一色の似顔絵に文字を付けるというスタイルにたどり着いた太山さんは、26歳で東京・銀座に自分の画廊を持ち、全国各地で個展を開くまでに。しかし、35歳の時に糖尿病と診断され、このままでは余命1年と宣告されてしまう。予期せぬ病気をきっかけに人生観が一変した太山さんは、売れっ子の地位を捨て、あえて自分のことを誰も知らない場所で挑戦することを決意。2015年にアートの本場・ニューヨークで活動するため渡米したのだった。
ニューヨークへ来た当初は仕事が全くなく、辛い時期もあった。そんなときに心の支えになったのは、いつも笑顔だった母の言葉。「人生、良いときもあれば悪いときもある。でもそれを遠目で引いて見ると、山あり谷ありの曲線も単なる直線でしかないから」。どんな状況も自分の心持ち次第だという母からのメッセージを胸に活動を続けていた。最近はようやく依頼が増え、作りたい作品を手掛けられるように。さらにニューヨークで開催される原爆追悼イベントのアート展を任されるという大きな仕事が舞い込んだ。会場の壁に飾る作品として描いたのは、巨大な仏画と「未来」「永遠」の文字。アート展では、この作品の前でライブペイントのパフォーマンスも行うことになった。観客が見守る中、墨が滴る太い筆を走らせ全身全霊で書き上げたのは「繋」の一文字。“命のバトンを繋ぐ”との思いを込めた作品は、圧巻のパフォーマンスとともに全米各地から集まった人々の心を打ったのだった。
あれから2年。ニューヨークは新型コロナウイルスの影響で外出は自粛され、太山さん自身もパフォ-マンスは秋まで全て中止になっているそう。そんな中、自宅で制作したのがお地蔵さまを描いた2枚の作品。コロナ禍でも持ち前の強い助け合い精神で支え合うニューヨークの人々に絆を感じて作ったものだという。さらに、中継を結ぶ太山さんがカメラの前で描き上げたのは、希望の「希」に「綱」とつづった「希綱(きづな)」の文字。「人と人とは何で繋がっているのか、今回すごくよくわかった」と語る太山さんは、「やさしさや思いやりはもちろん、希望を持っているから繋がっているんだ」というメッセージを“笑文字”に込めた。