今回の配達先は敬虔な仏教徒が多い国として知られるタイ。バンコクで僧侶になった小川大貴(僧名・大勇)さん(28)へ、兵庫に住む母・己香さん(54)の思いを届ける。
大小あわせて450以上の寺院が点在するバンコク市内。大勇さんは200年以上の歴史を誇るラーチャプラナ寺院という大きなお寺で暮らし、その一角にある「タイ国 日本人納骨堂」で堂守を務めている。85年前に建てられた納骨堂にはこの地で命を落とした500人を超える日本人のお骨が納められており、代々日本人の僧侶が堂守を務めてきた。任期は3年で、日々のお勤めとして読経を行い、参拝に訪れる在住日本人の接待やお堂の管理をする。大勇さんは2年前まで奈良で僧侶をしていたが、日本人納骨堂の堂守になるにはタイの僧侶にならなければならず、改めて得度しなおす必要があった。そのためには「パーリ語」という、現代では仏教の世界にしか残っていない言語でお経を唱えることが必須で、大勇さんは40分にも及ぶパーリ語の経典を2カ月かけてすべて暗記。そして「人生最大の難関だった」という得度式に臨み、晴れてタイの僧侶となったのだった。
大勇さんが僧侶を目指すきっかけになったのは、中学生の頃、当たり前のように続く学校生活にある迷いを感じたことだった。それから学校に行くのをやめ何をするでもなく毎日を過ごしていたが、ある日母に「やりたいことは決まった?」と問われ、何か答えなければと思ったときにたまたまテレビで流れていたのが京都のお寺のCM。「そこに行く」と、とっさに口をついて出た言葉から僧侶のための教育をする高野山高校に進学し、修行生活を始めることになる。しかし卒業後は僧侶にはならずフリーター生活へ。のちに母の一言で僧侶の道を本気で歩み始めるも、ずっと自信は持てないままだった。その頃に知ったのが、タイの日本人納骨堂のこと。「人生に迷いをなくそう」との思いを抱え、タイに渡ったのだった。そんな大勇さんにとって母の己香さんは、「絶対に敵わない相手だし、一番尊敬している人。感謝しかない」というが、己香さんは息子が僧侶を目指した理由を初めて知ったそう。「学校を辞めたいと言ったのは本人の意思なのでそこは尊重して、次は何をしたいのか1カ月時間をあげるから決めなさいって。それを本人は脅されたととらえたのか…何か言わないと怖かったんでしょうかね」と、思いがけない真相に驚く。
大勇さんが暮らすラーチャプラナ寺院では15人の少年僧を含む約50人の僧侶が厳しい戒律に従って生活している。「外で走ってはいけない」など、こと細かな決まりごとの数はなんと227も。戒律が厳しい反面、僧侶は人々から別格の尊敬を受ける存在で、寺院の外では様々な面で優遇されている。タイの僧侶は自分の食べるものはすべて托鉢で得ることが義務付けられているが、朝6時に街へ出ると早くも住民が待ち受け、大量の施しを受ける。ある意味恵まれた環境で修行する中、これでいいのだろうかと自問した大勇さんはバンコク最大のスラム街に托鉢で集めたお菓子や食べ物を寄付することに決めた。残る任期は1年。本物の尊敬される僧侶になりたいという思いで過ごした2年だったが、自分は一体どれだけ変われたのか、いまだ自信は持てないまま。まだ迷い続けながらも僧侶として精進するべく奮闘する息子へ、母の思いが届く。