8年前、ブラジル南部の町・クリチーバで暮らしていたシルバ千夏さん(当時33)。シングルマザーとして6歳と5歳の息子の子育てに奮闘していた。日本で日系ブラジル人の男性と知り合い結婚した千夏さんは、2人の子どもに恵まれる。しかし、子ども同士が集まってもゲームに夢中で、それを母親たちが気にもしない日本で子育てをすることに疑問を感じたことから、夫の故郷であるブラジルに希望を託して一家で移住。近所の子どもたちが毎日「遊ぼう」と誘いに来るようなブラジルはまさに理想の環境だったが、一方で夫との関係が悪化し離婚する。たった1つの頼るべきものを失ってしまうが、それでも「ブラジルで子育てをしようと決めて来た。別れたからといって日本に帰る理由にならない」と、この地に留まる道を選んだのだった。
父子家庭で育った千夏さんは、その父とも10代の時に死別。親戚の家に預けられ、家族との楽しい思い出や幼い頃の写真はまったくないという。その辛い経験から「自分の子どもにはそんな思いは絶対にさせたくない。私が育てたい」と固く決意する。離婚をきっかけに一時は家も仕事も失い、都市からはじき出された人たちが暮らす貧民街に身を置いたことも。その後はクリチーバにある長屋のような家の一角に移り住み、自宅でアクセサリーを作って生計を立てている。収入はわずかで生活は苦しいが、ブラジルには貧しくても困っている人に手を差し伸べる“助け合い精神”があり、千夏さんは何度も助けられてきたという。日本から移住して3年。2人の息子たちは、少し甘えん坊だがお母さんのことが大好きなわんぱく小僧に育った。千夏さんは子どもたちと一緒の時間がずっと続いてほしいと願い、そして「私の帰る場所はやっぱりクリチーバ。ブラジルで死にます」と、日本に帰ることは一生ないと話す。
そんな千夏さんの元に届けられたのは、日本の親友たちからのたくさんの写真やメッセージ。彼女らとはブラジル人のパートナーを持つ女性の会で知り合い、交流を深めていた。友人たちは地球の裏側で暮らす母子のことを「周りに誰かちゃんと助けてくれる人がいるのか」「子ども達はどうしているのか」と心配しながらも理解し、エールをおくる。千秋さんは懐かしい顔を眺めながら、温かい想いに触れ「日本は恋しくないけど、友達は恋しい」と涙をこぼした。
あれから8年。千夏さんは今もクリチーバで暮らしていた。現在の職場は、日本人オーナーが経営するラーメン店。地元の人を中心に日本人駐在員も通う繁盛店で、働き始めて1年ほどだが、真面目な仕事ぶりからオーナーの信頼も厚い。当時6歳と5歳だった息子もすっかり大きくなった。現在も余裕のある生活をおくっているとはいえないが、休日にはみんなでオーナーが持つ別荘へ小旅行に出ることも。この8年間、苦労は絶えなかった。だが2人の子どもは確実に大人の男性になりつつあり、理想の子育てもゴールが見え始めてきたのだった。