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#5523月22日(日) 10:25~放送
アメリカ・ニューヨーク

 2年前、アメリカ・ニューヨークでファッションデザイナーを目指していた美術大学生の小西翔さん(当時26)。数多くの有名デザイナーを輩出する名門「パーソンズ美術大学」に入学したばかりだった。父・誠さん(当時52)、母・小百合さん(当時53)は、「学費が2年間で1000万円。生活費も合わせると2000万円もかかるといわれたが、普通の会社員なのですぐに賛成はできなかった」と打ち明ける。そんな経済的な理由もあり、翔さんがアメリカに行くと言い出してからは父とは度々口論に。最終的に息子の強い決意と覚悟を知って、それならばと送り出したものの、渡米するときはお互い一言も口を利かずそのまま日本を飛び出したという。
 翔さんがパーソンズで所属する「ファッションデザイン社会学科」は2年制で、学生は世界各国から集まったデザイナーの卵たち18人。デザインに対するコンセプト作りからビジネスモデルまでを幅広く学び、卒業後すぐに活躍できるよう様々なカリキュラムが組まれている。今学期の課題は、刑務所に通って受刑者の話を聞き、そこからインスピレーションを得てメンズのコレクションを制作するというもの。翔さんにはパーソンズでの新たな試みが心地よい刺激になっているようで、「4年間日本でファッションの勉強をしたけど、留学するまでわからなかった。今、自分で体験して学んでみてしっくりきている」と目を輝かせる。
 高校卒業後、東京のファッション系専門学校に入学し、学内外のコンテストで賞を総なめにした翔さん。その実績により奨学金留学の権利を獲得した。首席で卒業後は、かねてから憧れていたパーソンズを目指してニューヨークの予備校に1年間通い、その後パリのデザイン学校にも奨学金を受けながら1年間留学。こうしてついにパーソンズへの入学が叶ったのだった。さらに、パーソンズの入学資格を得た日本人の中から1年に1人だけ選ばれる特別な奨学金も獲得。結局、両親に一切の負担をかけることなく自力で夢へのスタートを切った。「今は“自分のブランドを作るぞ”っていう将来設計は立てていない」と語る翔さん。まずははっきりと人生のゴールを決めず、ファッションに関わるすべてのことを貪欲に学びたいという。既に卒業後を見据えて、雑誌に売り込むため、さらにはアメリカに滞在できるアーティストビザ取得のため、写真作品の制作に取り掛かっていた。
 あれから2年。翔さん(28)の姿は、ニューヨークの中心地にあるビルの中にあった。アメリカやヨーロッパのファッション学校に入るための予備校「P.I.アートセンター」で翔さんは6つほどクラスを受け持ち、かつての自分と同じように世界でファッションを学びたいという若者のために指導を行っている。昨年、パーソンズ美術大学を学年トップクラスの成績で卒業。卒業制作として行われた学校主催のファッションショーではトリを担当した。また自身のファッションについての考えをまとめた本を出版し、12月にはこれまでの集大成としてファッション写真展をニューヨークで開催。大盛況を博した。念願だったアーティストビザも間もなく取得できる見込みだといい、一歩ずつ自身の思いを形にしてきた翔さん。それでも「ここがゴールではない」という彼がこれから目指すものとは…。