今回の配達先は、ハワイ。オアフ島で家具工房を営む家具職人の山内聡さん(35)へ、石川に住む父・修さん(63)、母・和代さん(63)の思いを届ける。
家具の聖地・岐阜の飛騨高山で修業を積み、職人として腕を磨いた聡さん。日本生まれ日本育ちのアメリカ人ハーフであるマーシャさんと結婚し、長男の出産を機にハワイに移住した。2013年、2人で小さな家具工房「Satoshi Yamauchi Woodworks」をオープン。客の要望に合わせて作る、世界でひとつのカスタムオーダー家具を製作している。その美しいデザインとクオリティの高い家具は、最短でも6カ月待ちという人気。個人のみならず飲食店や企業からも注文が殺到し、ハワイで3本の指に入る高級リゾートホテル「ザ・カハラ・ホテル&リゾート」のロビーに置かれるテーブル、そしてホテルの顔であるフロントのカウンターと壁も聡さんが手掛けた。主に使用する木材は、ハワイの至るところに植えられ大きな一枚板が取れることでも人気のモンキーポッド。一つ一つ、硬さや色、表情が全く違うモンキーポッドの自然の風合いをデザインに活かすスタイルは、聡さんの家具の魅力のひとつだ。また、聡さんが他の職人と比べて圧倒的に違うのが「サンディング」にかける時間。木の表面を磨き上げ、美しく滑らかにする作業は「結果としてそれが商品の質になってくる」と言い、終わりは自分が納得いくまで。納期を遅らせるお願いをしてでも、サンディングが完了するまでは次の作業には移らないという。こうして、ただただすべてのパーツを完璧に仕上げ組み上げた家具は、空気が通る隙間すらないような驚くほどの精度。最後に、会社のロゴとして使用する山内家の家紋の焼印を入れ、完璧な仕事をした証を家具に刻み込む。
聡さんが工房で作業する一方で、マーシャさんはテーブルの発注をした顧客の家を訪ねて、デザインの打ち合わせ。実は、マーシャさんが家具の仕事を始めたのはハワイに渡ってからだという。開業して2年間は全く仕事がなく、聡さんがアルバイトで稼いだわずかな収入でギリギリの生活をおくっていた。当初は埋もれてしまっていた職人の技。そこでマーシャさんは聡さんを製作に専念させるため、デザインや客とのやり取りなど作ること以外の作業をすべて受け持つことに。さらに、SNSを使って夫の卓越した技術を英語で発信。こうした妻のプロデュースによって、仕事が軌道に乗り始めたのだった。苦しい時期もあったが、はっきりとわかったのは「日本で学んだ職人技、自分自身の日本人としてのアイデンティティーを持って自分をちゃんと出していけば、世界のどこへ行ってもやっていけるんじゃないか」ということ。見えない部分でも一切の妥協を許さず、日本流の仕事を貫く。
父の修さん、母の和代さんは、これまでの道のりを知り「びっくりしました」と口を揃える。しかし「家具職人としてのプライドをしっかり身につけて、不動のものを作っている感じが非常にうれしい」と修さん。和代さんも「2人の才能が今の会社を作ったと思う」と喜ぶ。ハワイに渡り6年。日本の職人技と妻の支え、夫婦二人三脚で道を開いた息子へ、両親の想いが届く。