今回の配達先は、イタリア・フィレンツェ。深い歴史を誇る文化・芸術の町であり、年間1500万人もの観光客が訪れる世界的観光地でオペラ歌手として奮闘する斉藤紘子さん(40)へ、北海道で暮らす父・俊夫さん(71)、母・由美子さん(69)の思いを届ける。イタリア行きを聞いた当初は「果たして生活ができるのか、3年が限界かなと思っていた」という俊夫さん。娘が幼い頃大好きだったぬいぐるみを今も身代わりとして大切にしている由美子さんは、反対する気持ちもあったというが、「いつかこの子は行くだろうと。だから反対ではなく、気持ちよく出してあげた方がいいと思った」と当時の心境を明かす。
一人娘として生まれた紘子さんは幼い頃から音楽に親しみ、オペラ歌手を目指すように。大学卒業後は、イタリアで修業するため日本で必死に働いて留学資金を貯め、念願のフィレンツェにやってきた時にはすでに30歳になっていた。レッスンに明け暮れ2年が過ぎ、まだまだ勉強はしたいがお金が尽きかけていたそんな頃に出合ったのが、教会を改装したコンサート会場。「私はここで歌える」と運命的なものを感じた紘子さんは、何度も通い詰めてオーディションに合格し、32歳にして初めて歌で収入を得ることができた。以降、昼間は飲食店で働きながら夜はオペラ歌手として活動。二足のわらじで生活はようやく安定するようになったという。
今やホームグラウンドであり、週3回ほど出演する元教会の劇場は、紘子さんが契約している「イタリアン オペラ フローレンス」という団体が運営する会場。観光客が手頃な値段でイタリアオペラを楽しむことができる。ほとんどの客がオペラに初めて触れるという初心者、しかもイタリア語がわからない人たちに向けて紘子さんは声と全身を使って物語を表現。その姿は徐々に観衆の心をつかみ、1時間のコンサートで観客は歌の世界へと引き込まれていく。またある時は、フィレンツェの田舎体験ツアーの一環で、農業体験を楽しんだ観光客に向けて田園に建つ一軒家で歌を披露することも。観衆は10人ほどだが、この場所も紘子さんにとって大切なステージの一つになっている。
「将来的には歌一本で生きて行きたい」という気持ちがずっとあった紘子さんは、今年になり8年間務めた飲食店を退職。40歳にして、歌だけで食べて行く道を歩み始めた。「不安はなかった。多分、50歳では挑戦できない。今40歳で区切りをつけて挑戦して無理だったとしても何の後悔もない」とまっすぐ前を向く。観光客相手のコンサートだけでなく、もっとコンクールやオーディションなどで場数を踏み、そしていつか大きな劇場で歌ってみたいと夢を語る紘子さん。一方故郷で見守ってくれている両親、特に母親が寂しい思いを抱えていることを最近になって知り、それが気掛かりでもある…。オペラ歌手としてこの街で生きるため生活のすべてを歌に捧げ挑戦を続ける娘へ、両親が届ける想いとは。