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#5237月28日(日) 10:25~放送
アメリカ・ハワイ

 今回の配達先は、アメリカ・ハワイ諸島のマウイ島。ホテルのペイストリーシェフとして奮闘する木津慶和さん(38)へ、東京都で暮らす父・寛二さん(70)、母・初美さん(73)の思いを届ける。
 自然豊かなマウイ島は3年前、世界のベストアイランドに選ばれるなど、ハワイ諸島の中でも世界中の観光客が憧れる場所。特に島の西部は世界屈指の高級リゾートで、慶和さんはこのエリアにある5つ星ホテル「ザ・リッツ・カールトン・カパルア」でペイストリーシェフを任されている。「ペイストリー」とは、ホテル内のスイーツとパンを一手に担う調理部門のこと。慶和さんは、2014年に製菓の大会「全米ペイストリーコンペティション」で優勝した実力の持ち主で、味や創造性が評価され3年半前にアメリカ本土のリッツ・カールトンから今のホテルに引き抜かれた。現在はペイストリーの責任者として、11人のスタッフをまとめている。1年間に生み出す新作デザートは、実に500種類。慶和さんの経験と技術を詰め込み、味はもちろん発見と感動に満ちた一皿はホテルを訪れる食通のセレブ達を唸らせている。
 福井にある父の実家は、大正時代から続く菓子店。両親に溺愛されて育ち、わがまま放題の末っ子だった慶和さんは、時折お仕置きとして厳しい父の実家に預けられ店の手伝いをさせられていたという。しかしそこは、慶和さんにとって嫌なだけの場所ではなく、お菓子作りに興味を持つきっかけとなり高校卒業後に製菓の学校へ。26歳で東京のリッツ・カールトンに就職すると腕が認められ、料理長としてアメリカのフロリダへ渡ることに。だが、待っていたのは挫折の連続。英語が流暢に話せなかったため何を求められているかもわからず、部下をまとめる立場でありながら指示も満足にできない。共に働く仲間として認めてもらえず、追い詰められる日々。両親に電話し「帰りたい、ではなく、帰ると言った」慶和さんだったが、再び奮起するきっかけとなったのは電話口での父の言葉だった。それから9年半、今日までがむしゃらに走ってきた慶和さん。職場のデスクの引き出しには、大事にしまっている“あるもの”が。それはまだ日本で働いていた10年前に母からもらった手紙。大人になってもわがままな性格が直らなかった慶和さんが、ある日些細なきっかけで仕事の苛立ちを爆発させ、生まれて初めて心臓の病を抱える父の胸ぐらをつかみ罵倒、家を飛び出したその夜に母の初美さんが慶和さんに宛てて書いた手紙だった。そこには母が息子に伝えたい大切な想いが…。当時について、父の寛二さんは「まさかそういうことをする子じゃないと思ってたし、ずっと甘やかしてかわいがっていたので…」と息子の突然の行動が信じがたかったと話す。母の初美さんも「びっくりして、とにかくすぐ引き離して『何を考えているの』と…」と、息子に対して真剣に、綿々と手紙を書いた夜を振り返る。本当によくない態度をとった悔恨を胸に刻む慶和さんは、その手紙をすぐ読めるように引き出しにしまっているという。
 アメリカでがむしゃらに走り続けて9年半。「日本にいたときは親に甘えていた。アメリカでは本当に誰も頼る人がいなくて、それで初めて人に感謝できるようになった」と語る慶和さん。父の言葉と母からの手紙を支えに道を切り開き、全米屈指のシェフとなってもさらなる高みを目指し奮闘する息子へ、いつの時も応援を続けた両親の想いが届く。