今回の配達先はアフリカのウガンダ共和国。野球の代表監督としてオリンピック出場を目指し奮闘する田中勝久さん(43)へ、京都に住む父・正さん(73)、母・栄子さん(71)の思いを届ける。正さんは「ウガンダは治安が悪いイメージがあり心配だったが、“野球バカ”なので仕方がない」と心境を明かし、栄子さんも「どういう教え方をしているのか…」と息子の様子を気に掛ける。
勝久さんは中学の時にU-15日本代表に選ばれ、その後も野球一筋の人生をおくってきた。大学卒業後、家業の畳屋を手伝いながら指導者を志していた頃、青年海外協力隊が野球指導者を募集していることを知り2011年に初めてウガンダへ渡ることに。ウガンダは野球人口わずか6千人の野球新興国。選手たちの潜在能力は高いがプロは存在せず、ほとんどが日雇い労働者や学生だ。着任後、チームはアフリカ大会で準優勝を収めるなど数々の実績を残すも、2014年に任期が終了したため帰国。日本で教師をしながら高校野球の監督をしていたが、そこへウガンダ政府から「東京オリンピックを目指したい」と代表監督のオファーが舞い込む。国の事情をわかったうえで野球ができるのは自分しかいないと腹をくくった勝久さんは、育てた選手を世界の大舞台に立たせたいとの思いで、安定した仕事を捨てた。両親が心配する中での決断だった。
オリンピックの出場枠はアフリカとヨーロッパ合わせてたった1枠。ケニアで行われる第1次予選を勝ち進み、ヨーロッパ諸国と戦う最終予選まで勝ち抜かなければならない。最大の壁はメジャーリーガーも排出するアフリカ王者の南アフリカ代表。過去1度も勝利したことがない強敵だが、策を練り選手の育成に打ち込む。しかし、東京オリンピック予選に向けた強化合宿に集まったのは、代表チームに24人の登録があるにもかかわらず、わずか10人程。予算が国から下りず、実費での参加となったためだ。このようなことが起こるのは日常茶飯事で、野球以外にも様々な問題を抱える厳しい現実がある。それでも全ての選手を1人で指導し、その費用を負担することもある勝久さんは、国の代表であっても野球に打ち込めない貧しい選手たちにとって父親のような存在となっている。
ウガンダに来た勝久さんの心に火をつけた出来事がある。現地で出会った野球少年の夢が「プロ野球選手になりたい」というものではなく、「コーチ」になることだったのだ。ショックを受けた勝久さんは、「ウガンダの野球全体を成長させるなどと大きなことは言えないが、一人の選手を育てることは可能だろう」との思いを持ち指導してきた。これまでにもウガンダ人選手を日本の独立リーグへ送り込み、さらに地元の小学校へ出向いて野球そのものを知らない子どもたちに普及させる活動も行っている。ウガンダ野球と出会って8年。選手たちのポテンシャルに魅力を感じアフリカの地で挑戦を続ける息子へ、両親の想いが届く。