2年前、ベルギーのブリュッセルで、現地に駐在する日本大使に仕える専属シェフ「公邸料理人」を務めていた神山和希さん(当時30)。小さい頃から食べることが好きで、特に母の手料理が大好きだった。そんな影響もあって、料理人を志した和希さんは高校で調理科に進学。卒業後は浅草の老舗フレンチレストランで修業を重ねる。22歳の時に「海外で勝負したい」と公邸料理人に応募すると、和希さんの才能と情熱が認められ、見事採用が決まったのだった。
ベルギー政府との交渉や日本の広報活動などを行う日本大使の住まいである日本大使公邸は、各国の要人らを招いた会食が外交として催される場所。公邸料理人は会食やパーティーなどの料理を一手に手掛けることから “味の外交官”とも呼ばれている。和希さんは元々フレンチの料理人だが、日本の食文化を広めるという重要な役割も担っているため、創意工夫を凝らして寿司などの和食も作る。何百人分のパーティー料理であっても彼がたった一人で調理し、大使からも「私の仕事を支えてくれる重要な同僚」と信頼も厚い和希さんは、公邸料理人としては8年間という異例の長期にわたり重責を果たしていた。そんな中、一緒に暮らしていた妻と2人の子どもが長男の小学校進学のため日本に帰国。さらに、近々現在の大使が異動するのに伴い、公邸料理人も変わることが決定する。突然のことに戸惑いを隠せない和希さん。「(自分の)店を出すといっても、すぐにはできない。家族の生活もあるので…」と、今後に不安を抱いていた。人生の大きな転機を迎えた和希さんの元へ届けられたのは、母の手料理。焼いた鶏肉に炒めた野菜をのせたオリジナルメニューで、記念日には必ず作ってくれた思い出の味。1人きりで戦っていた和希さんは、懐かしい香りにひとときの安らぎを感じたのだった。
あれから2年。和希さん(32)は静岡県の西伊豆町で暮らしていた。自然豊かな町の山深い場所には、なんと猟銃を手にする和希さんの姿が。地元の猟友会に所属し、鹿や猪を狩猟しているのだという。まだ始めたばかりで山歩きもままならず一度も獲物を仕留めたことはないと話す。
公邸料理人の職を失ったのち、日本に戻った和希さんは大手ブライダルグループに就職。しかし、自分の店を持つという夢を叶えるためにも食材についてもっと深く知りたいと、一度料理人の世界から離れることに。「自分が使うお肉を自分でとってみたい」―――狩猟で肉を獲り、畑で野菜を栽培し、川や海で魚を釣る、それらすべてができる西伊豆に移住したのだった。もがきながらも少しずつ夢へと歩む和希さんに、そばで見守る妻の倫子さん(40)や、和希さんの料理の原点である家族、父・延夫さん(57)、母・文子さん(56)が今、思うこととは?