今回の配達先はドイツ。19世紀に開花したオペラ文化から数多くの歌劇場が誕生し“世界一の劇場大国”とも称される地で、オペラ歌手として奮闘する木村善明さん(37)へ、岡山で暮らす母・陽子さん(65)の思いを届ける。
善明さんがドイツに渡ったのは11年前。現在はドイツ西部の都市・ビーレフェルトにある、街で最大の劇場「ビーレフェルト歌劇場」を拠点に活動している。この劇場の専属歌手になって4年、善明さんはこれまでのオペラ歌手人生で一番の大役を務めることになった。演目は、19世紀のドイツオペラを牽引した大作曲家・ワーグナーの「ラインの黄金」。オペラ史上最大規模といわれる大作「ニーベルングの指輪」4部作の一つで、善明さんは主役のアルベリヒを演じる。「ドイツに来たときからワーグナーを歌いたかった」と強い思いを持ち続け、遂に勝ち取ったチャンス。しかし、アルベリヒはドイツ人でも歌える歌手が少ないといわれるほどの難役で、しかもドイツ国民に愛されるこの演目で日本人が主役を務めるのは異例のこと。そのため注目度も高くなり、厳しい評価を受けたこともあった。善明さんは「今の自分の実力以上の役」と受け止めながらも「実力の差を埋めるために自分をどこまで追い込めるか」と、尋常ではないプレッシャーと闘いながら全身全霊で役に向き合っている。
善明さんが歌に目覚めたのは、地元の合唱団に入団した小学2年生のとき。以降、中学から大学まで歌一筋に。しかし大学4年生を迎え、ドイツ留学を夢見ながらも歌手として生きていく第一歩を踏み出せずに悩んでいた時、厳格だった父・力(つとむ)さんが病に倒れたとの知らせが入る。謹厳実直な父は善明さんが歌手として生きていくよりも、音楽教師となるなどの道を勧めていたが、その父が闘病をきっかけに善明さんに伝えたのは「人生何があるかわからないから、お前が思うようにやりなさい。歌をもっと突き詰めなさい」という言葉。仕事に命をかけてやってきた人だからこその思い…善明さんはその言葉を聞いた瞬間「絶対歌を仕事にする」と決意。力さんが他界した後、「父との約束」と「自分自身の夢」を果たすため、ドイツへと渡ったのだった。
ドイツでの生活は決して順風満帆ではなく、言葉の壁や周りからの評価に落胆し、うつ状態で声が出なくなってしまったこともあった。思い悩んだ善明さんは母・陽子さんに電話し「日本に帰ろうかと思う」と打ち明ける。すると意外にも陽子さんからは「良いんじゃない」との返事が。母の答えに驚いた善明さんは逆に奮起し、ドイツに留まり再び歌の道を歩み出した。実は陽子さんは善明さんのことを「小さい時から、やると言ったことは必ず最後までやり遂げる子だから」と信じ、全く心配していなかったからこその言葉だった。
いよいよ迎えた「ラインの黄金」本番当日、善明さんは満席になった劇場の舞台で長年の夢だったワーグナー作品の主役を熱演する。いくつもの困難にぶつかりながらも自分の信じる道を突き進む善明さんの元へ、母から届け物が。それは、母を支えてきた大切なものだった。あふれ出るメッセージを感じ取る善明さん。添えられた手紙に、初めて知る母の真実…善明さんの胸に宿った思いとは。