シンガポールで和太鼓奏者として奮闘する酒井奈美子さん(43)と、日本の母・貴世子さん(73)、姉・美希子さん(46)をつなぐ。25歳の時に日本語教師としてこの国に渡り、10年前、太鼓グループを立ち上げた奈美子さん。母は「2,3年で帰ってくるだろうと思って送り出した。人の陰に隠れるような子だったのに、まさか人前で演奏するようになるとは…」と、娘の転身を意外だったと思い起こす。
日本にいた頃、趣味で太鼓を習っていた奈美子さん。本格的に取り組み始めたのは、18年前にシンガポールに渡ってからのこと。この国には教えてくれる先生がいないため、独学でその技を磨いてきたという。“多様な民族と文化が共存するこの国で、日本の文化を紹介したい”との思いから、2008年に太鼓グループ「響屋」を設立。今では50人以上を率い、主催者として精力的に活動している。シンガポールは日本企業が多く進出していることもあり、日本の太鼓は受けがいいという。
「響屋」は現地のイベントがあれば必ず参加するなど、地道に活動する中でその知名度を徐々に上げ、今ではマラソンやサッカーの国際大会に呼ばれてハーフタイムに披露したり、シンガポールをあげての国際セレモニーで日本から招かれた首相の前で叩いたりと、幅広く活動。さらに、シンガポールでトップクラスの劇場で演奏を果たすなど、今ではジャパニーズパーカッションといえば“ナミコ”と言われるまでになった。
演奏、指導、運営と、1人で何役もこなす彼女を支えるのは、シンガポールの空手教室で出会ったご主人のクーさん(37)。元々は奈美子さんがご主人と、当時3歳だった一人息子に太鼓を指導したことから始まり、2004年には家族3人でスタートさせた太鼓グループは、今では「響屋」として大きな活動に。最初はちょっと手伝うだけのつもりだったクーさんだが、今ではリーダーの奈美子さん以上に太鼓に没頭しているという。
シンガポールで日本語教師をしてほしいと誘われ海を渡ることを決意した奈美子さんは、厳格だった父には反対されると思っていたというが、父は何も言わず「困った時に使いなさい」とお金を手渡して送り出してくれたという。「響屋」運営のための営業活動に飛び回ることになった奈美子さんは、書類の作成やお金のことなど社会経験が豊富な父のアドバイスにずいぶん助けられたそうで、「シンガポールに来てからの方が父とはよくコミュニケーションを取るようになった」という。そんな父も2年前に他界。奈美子さんには忘れられない父の一言があるという。「太鼓は音楽じゃない」―――父は、太鼓奏者として奈美子さんが食べていけないのではないかと、ずっと気にかけてくれていたのだ。
父に認めてもらいたい…。その思いを力に変えて、異国でひたむきに太鼓に打ち込んで来た奈美子さん。そんな彼女に、日本の母から父の思い出の品が届けられる。添えられた手紙には、父が生前語っていたという奈美子さんへの深い愛が綴られていた…。