今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。ファッションフォトグラファーとして奮闘する小野田雅人さん(44)と、三重県に住む父・雅晴さん(75)、母・さち子さん(73)をつなぐ。サラリーマンを辞めてニューヨークに渡り、フォトグラファーとなった雅人さん。両親は「何故カメラだったのか?寝耳に水だった。カメラマンとして本当にやっていけるのか」と心配している。
フリーランスとして独り立ちして5年。雅人さんは多くの仕事をこなし、多忙な日々を送っているが、インターネッなどの単価の安い仕事が多く、メジャーなファッション誌からのオファーはあまりないのが現状だ。アシスタントなどはおらず、いつも重い機材を抱えて一人で仕事の現場へ。ネットに掲載するファッションブランドの広告写真などは、街中で次々と場所を変えながらモデルを撮影。その場にあるものを活かして即座にアイデアを出し、スピーディーに撮影することを求められるプレッシャーも。急きょ依頼される仕事も多いが、「フリーランスなので、できる仕事はやって行かないと」と雅人さん。現在独身。両親は結婚を望んでいるが、「結婚となると、ある程度収入が無いと…。でも、なかなか収入も上がらなくて」と苦笑いだ。
そんな雅人さんの自宅兼作業場の机には一枚の写真が飾られている。雅人さんの実家で毎年正月に必ず撮っているという家族写真だ。元々父が始めたことだが、ここ数年は帰省した雅人さんが撮影を担当しているという。
カメラマンを目指したのは、大学時代に父のカメラをもらったのがきっかけだった。海外旅行によく行っていた雅人さんは、そのカメラで旅行の記録を残すことに夢中になった。大学卒業後は5年間、音楽CD流通会社に勤務していたが、“30歳を前にやりたいことをして生きていこう”と決め、29歳の時に会社を辞めて渡米。そこからカメラの勉強を始め、わずか7年後、世界的なコンテストで優秀賞を受賞。プロカメラマンとして独り立ちするきっかけになった。
それから5年。競争の激しいニューヨークでは、有名ファッション誌など第一線で活躍できるカメラマンはほんの一握り。「今は数多いる中の星屑のひとつ(笑)。この世界には常に新しい人が入って来るし、仕事が無くなるときもある」と雅人さん。今はカメラで生計を立てられているものの、まだまだ思うような仕事はできていないという。「今やっている仕事より、もっとレベルの高い仕事がしたい。そのためには地道に人脈を作ったり、今まで撮ったことがないような写真にももっと挑戦しないと…」。自らの感性を磨き、自分にしかないオリジナリティーを表現したいと思いつつ、それを培う時間が無いもどかしさを感じている。
そんな雅人さんに日本の父から届けられたのは、小野田家伝統の集合写真。37年前に父が撮影したものだ。写真の裏には、「小野田家エース雅人くん。世界のひのき舞台での活躍を期待しております。頑張れ!父より」と綴られていた。雅人さんは「懐かしい…。家族写真は自分の原点。早くひのき舞台に上がれるよう頑張りたい」と誓うのだった。