今回の配達先は、フィリピン・セブ島。海の上にあるバジャウ族の村で暮らす松田大夢さん(22)と、新潟県佐渡市に住む、親代わりだった祖母・光江さん(70)と、祖父・隆信さん(71)をつなぐ。高校3年間を祖父母と佐渡で過ごし、高校を中退後、セブ島に渡った大夢さん。祖母は「本当は佐渡にいてもらいたかった。でも、あの子はちょっと変わっている。どんなに周りが説得しても意思を曲げなかった」と振り返る。
セブ島のスラム街の最果て。海の上に高床式の住居が立ち並ぶ集落が、大夢さんの住むバジャウ族の村だ。ここに2000人が暮らしている。住まいは主に竹を使って手作りした簡素なもの。大夢さんは10帖ほどの広さの家に、この村で出会い、結婚したばかりの妻・シャイマさん(18)と2人で暮らしている。
「海の遊牧民」と呼ばれるバジャウ族の生活の糧は、伝統的な素潜り漁。壊れた傘の骨でモリを作り、手作りの船で漁に出る。数百年に渡って漁で生計を立ててきた彼らは、ボンベなしで水深40mまで潜ることができるという。この村に来て漁を覚えた大夢さんも、村人と一緒に素潜りで魚を獲る。昔は漁だけで充分生計が立てられたが、海の汚染は深刻で、今はそれも難しいという。
日本にいた頃は反抗的で、よく校長室に呼ばれていた。「ばあちゃんもよく一緒に校長室に呼ばれた」と大夢さん。同じレールの上を歩くことを要求される高校生活に嫌気がさし、学校をさぼってバックパッカーとして東南アジアへ。無謀ともいえる高校生の一人旅だったが、祖母は何も言わず送り出してくれた。「放浪して視野が広がった。学校に戻ったら“僕は何をしているんだろう”と、自分の生き方を考え直した。どうしても高校卒業の肩書が嫌で、卒業3日前に中退した。さすがに、普段は怒らないばあちゃんも怒った」と、当時を振り返る。
再び日本を飛び出し、3年前、この村にたどり着いた。ここで出会ったシャイマさんに一目惚れし、猛アタックの末に結婚。村全体がひとつの家族のように助け合って生きるバジャウ族の人々は、何の偏見も持たず、大夢さんを受け入れてくれたという。日本では感じることができなかった濃密な人間関係がこの村にはあるという。
元々、ここから300km離れたミンダナオ島で暮らしていたバジャウ族だが、過激派に故郷の海を追われてこの地に流れてきた。しかし、独自の言語と文化で生きてきた彼らは、いわれのない差別を受け、仕事にも就けず、貧しい暮らしを強いられることに。今や漁業も行き詰まり、村の暮らしは厳しくなる一方だ。
大夢さんは、自分を受け入れてくれた彼らのためにも、ここで新たなビジネスを立ち上げようと奮闘している。ブログにこの村での生活を綴り、インターネットの広告収入を得、さらに、村の人たちと新たな事業を展開しようと、賛同する人たちから資金を調達。この地に観光客を呼び寄せるべく、ゲストハウスを建設し、観光ツアーボートを運営するなど、村に雇用を生み出そうとしているのだ。「彼らだけだと限界がある。僕が外からアイデアを持ってきて、仲間として助け、一緒に楽しいことをして生きていけたら」と、大夢さんの夢は広がる。
そんな大夢さんに届けられたのは、祖母の農園で作っているリンゴジュース。大夢さんは、佐渡で毎日飲んでいた味を懐かしみ、「ばあちゃんはいつも味方でいてくれた。あの3年間が無かったら、今の自分はなかった」と、祖母に感謝するのだった。