今回の配達先はアメリカ・ニューヨーク。ダンスパフォーマーとして奮闘する中澤利彦さん(32)と、新潟県に住む父・耕明さん(64)、母・サチ子さん(70)をつなぐ。7年前、勤めていた会社を退職し、海を渡った利彦さん。両親は「いつまでも踊れるわけではない。食べていくのはこれからも大変だろう。本当に大丈夫なのか」と案じている。
彼が今、出演しているのは、ニューヨークで注目を集めている斬新なショー「ザ・ライド」。ストリートでゲリラ的に演じられるパフォーマンスを、バスに乗った乗客が車内から楽しむ新感覚のエンターテインメントバスツアーで、利彦さんはパフォーマーのひとりとして出演している。
マンハッタンの街を75分かけて走るこのバスは「動くミニシアター」とも呼ばれ、1台1億5千万円をかけて作られた特殊なもの。座席はすべて歩道側を向き、屋根までガラス張り。約3千個のLED照明が付けられた劇場仕様に改造されている。「ザ・ライド」のパフォーマー応募者は年間およそ350人で、合格率は20%以下という難関だ。2年前、そのオーディションに合格した利彦さん。「お客さんとの距離が近く、ダイレクトに反応が分かるのが面白い」といい、やりがいを感じている。
大学のモダンダンス部でダンスに魅了され、ヒップホップなど様々なダンスを習得したが、卒業後は飲食関係の会社に就職。激務に追われてダンスからは遠ざかっていたが、「もう一度踊りたい」という思いに突き動かされ、25歳の時に仕事をやめてアメリカへ。そんな利彦さんの強い決意に、両親は反対しなかったという。
渡米後はダンス学校に入学。貯金を切り崩し、アルバイトで食いつなぐ苦しい生活の中、ひたすらダンスの腕を磨いた。転機は4年前。トップダンサーへの登竜門といわれるアポロシアターの人気イベント「アマチュアナイト」で2013年と2014年に連続優勝を飾り、その後はプロとしてさまざまなダンスイベントに呼ばれるように。「ザ・ライド」の仕事が決まってからは、ようやくダンサーの稼ぎだけで生活できるようになったという。挫折して帰国する日本人が多い中、彼は生き残っている数少ない日本人ダンサーのひとりなのだ。「ダンサーになるという漠然とした目標は達成できた。今は、ダンサーを超えたものになるのが僕のテーマ。もっと違った形のパフォーマンス、エンターテインメントに挑みたい」といい、自分だけのショーを作るという新たな夢に向かって走り続ける。
そんな利彦さんの部屋の壁には、自分の心を奮い立たせるものが貼ってある。7年間、毎年新年に紙に書き出しているという自分を律する言葉だ。その中に”家族の存在を思い出す“という一文がある。「本当なら僕が両親と一緒に住んで面倒をみるべきだし、そうしたい気持ちはあるけど、自分にはできないから…」と、利彦さんはいう。
日本からのお届けものは、両親が大切にしまっていたという、利彦さんが小学校5年生の時の学級通信。その中に彼の日記があった。そこには“自分の人生は自分のもの。周囲の環境や人間関係ではなく、自分が何をするかで自分の人生が決まる“という主旨の文章が綴られていた。改めて読み返した利彦さんは、しみじみと「そんな人生を僕は今、歩いていますね」と語るのだった。