今回の配達先はインドのムンバイ。この街で伝統舞踊の修業をしている福田浩子さん(46)と、東京に住む13歳歳の離れた姉の七重さんをつなぐ。実は浩子さんがインドに移住したのは41歳の時。6年に渡る両親の介護を終えてからだった。当時は海外に居て、しかも大病を患い、介護を手伝うことができなかった姉は「妹にはありがたいのと、申し訳ない気持ちでいっぱい。早く自由になって、楽しく人生を送ってほしいと思っていた」といい、妹がインドでそんな暮らしを送ってくれていることを願っている。
浩子さんが学んでいるのはカタックダンス。紀元前5世紀ごろに誕生したといわれるインドを代表する古典舞踊で、リズミカルなステップと、手の形や顔の表情で物語を表現するダンスだ。手の形一つ一つに意味があり、表現するものも無数。それらをすべて体得し、優雅に踊りの中に組み込まなければならない。浩子さんの師匠は「カタックダンスは一生かけて極めるもの」と話す。
「無になって踊れることが幸せ」と、修業に打ち込む浩子さん。子どものころから踊ることが大好きで、40歳の時、インド映画のダンスシーンでおなじみの“ボリウッドダンス”と出会い、その楽しさにのめり込んだ。そんな時、たまたま出演したイベントで彼女のダンスが関係者の目に留まり、インドのCMに出演することに。そして、生まれて初めて訪れたインドに強く惹かれた浩子さん。「ダンスだけでなく、この国の人との相性もすごく良くてハマってしまった」といい、41歳にして第二の人生をこの地で送ることに決めたのだ。
それから6年、カタックダンスの修業を重ね、最近はステージに立たせてもらえるようにもなった。しかし、ダンスではまだ収入がなく、平日は日系の電子機器メーカーで働いている。
30代の頃、高齢の両親が認知症を患い、およそ6年間もひとりでその介護をしてきたことについて、浩子さんは「24時間体制で看ていたので自分の時間などなく、この先どうなるんだろうと暗闇の中にいた。でも投げ出したくはなかった。末っ子だったので両親にはとても可愛いがってもらったし、その恩返しのつもりだった」という。姉については「責任感の強い人なので、もし状況が許していたら、ずっと付いてくれていたと思う。でもそれは難しかった」と理解を示す。
両親の介護を終えたとき、「これからがやっと私の人生」と、大好きなインドに渡った浩子さん。「インドに来てからのほうが本来の私という気がする」と言い、生涯を賭けてカタックダンスを極めるためにも、ずっとこの国で生きていきたいと語る。そんな浩子さんに日本の姉から届けられたのは、母が愛用していたお香と香炉。お香は母が好きだった白檀の香りを、姉が調合して手作りしたものだ。浩子さんは「懐かしい母の香り…母が来てくれた気がする」と涙する。添えられていた姉からの手紙には、浩子さんが両親の介護をしている時、なかなか日本に帰れず、大変な思いをさせて申し訳なかったと綴られ、「面と向かうと言えなかったけれど、本当に心から感謝しています」と、胸の内が明かされていた。浩子さんは「姉が私を思ってくれているのが伝わる。私は犠牲になったとは思っていない。両親に恩返しできたからこそ、いま思い切り自分の人生を生きられている」といい、姉を安心させるのだった。